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1973年に生まれてオンデマンド版

1973年に生まれてオンデマンド版
団塊ジュニア世代の半世紀

速水健朗/著 

ISBN:978-4-487-81656-9
定価2,090円(本体1,900円+税10%)
発売年月日:2023年07月25日
ページ数:272
判型:46

解説:
《この世代の世代論は、ノスタルジーか残酷物語のどちらかである。そうではない本を書くことが本書の目的だが、そうなっただろうか。》――速水健朗(本書「あとがき」より)

ロスジェネ、超氷河期、お荷物と言われ続けた団塊ジュニア世代のど真ん中ゾーンも、ついに天命を知る50代に突入。
そんな世代が生きてきた1970年代から2020年代にわたる、日本社会、メディア、生活の変遷を、あるいはこの時代に何が生まれ、何が失われたのか――を、73年生まれの著者が、圧巻の構想力と詳細なディテールで描くノンフィクション年代記。
既存の世代観を上書きする、反「ロスジェネ」史観の誕生!

まえがき

 2019年に「OK BOOMER」が流行した。きっかけはニュージーランドの議会の中でのこと。25歳の女性議員が気候変動の問題について発言したときに、男性議員からヤジが飛んだのだ。彼女は、その態度にあきれて両手を広げてみせた。それが世界中にニュースとして伝えられた。上の世代に話が通じないときに「OK BOOMER」のポーズは、世界に拡散した。
 いわゆるベビーブーマーとは、第二次世界大戦後の人口拡大期に生まれた人たちのことだ。世代区分として、1946〜64年頃に生まれた人々のことを指す。日本の世代区分に比べるとずいぶんざっくりとしているが、本来、世代とはこのくらいの幅を持って議論するのでちょうどいい。日本では、団塊の世代の区分がなじみがあるが、47〜49年生まれと範囲が狭く、限定されすぎる。
 ブーマー世代が他の世代の主張を聞かず古いままの世界認識で生きているというのは、もちろん、印象や評判レベルの話だが、世界中がそれに共感を示し、何よりおもしろがった。人口の多さゆえに煙たがられる世代。それが、世界のコンセンサスになった。
 当の本人たち世代に自分たち世代が煙たがられている自覚があるようだ。「団塊世代というのは自分のことを語りたがる」「そしてしばしば自意識過剰でもある」「加えて、世間の評判がかんばしくない」(『団塊ひとりぼっち』)そう書いているのはエッセイストの山口文憲である。そして、自分の世代についての話をしゃべろうとするとすぐに「非団塊の世代(とりわけ一世代下の五〇年代後半生まれ)から揚げ足をとられる」のだという。
 世界的にこのブーマー世代を冷ややかに見ているのは、ミレニアル世代(1980年〜1990年代中頃生まれ)とZ世代(1990年代中頃以降の世代)である。彼ら、彼女らは人生のスタート時点で持たざる者だったという意識を持っている世代である。
 この世代が環境問題に高い関心を示すのは、自分たちが誕生した頃に環境破壊がすでに進んでいたからだ。住居のための土地もすでに先行世代に買い占められてしまっているから家賃高騰問題にも怒りの矛先を向けている。そこから抜け出すためには、社会的エリートになって階級的上昇を果たすしかないが、教育のコストも高く、進学時に背負う借金を社会に出てからも長く払い続けなければならない。こうした世界は、ブーマー世代が作り出した。その認識が正しいかどうかはともかく、彼らの怒りはもっともなものだ。
 さて、ブーマー世代とミレニアル・Z世代の間に、もうひとつ別の世代がある。なんとも中途半端で、存在感が薄いわれらが世代である。
 ちなみに日本ではまるで定着していないが、X世代という呼び方がある。アメリカでは、65〜80年に生まれた世代を指すものだ。もちろん、先にX世代の登場があったから、それに続くY、Z世代の呼び名になっているのだ。しかし、いまや〝X世代〟だけが死語のようになっている。

 そんなX世代だが、その言葉が登場したときは、もっと注目されていた。ちなみにこの造語は、ダグラス・クープランドという作家の小説から生まれていて、当初、既存の社会に背を向けたクールな世代という認識で広まったもの。この世代は、社会がどうなっていようが斜に構えていて、怒ったり、反論もしないのだという。常にどこかあきらめている姿勢で生きていて、テレビゲームやコンピューターの世界に閉じこもったり、ポータブルの音楽再生機でロックやハウスミュージックを聞いている。映画『リアリティ・バイツ』などもそんな世代を描いた映画だった。小説でいえばチャック・パラニュークの『ファイト・クラブ』がこの世代を描いた代表作だ。
 クールで社会に背を向けた世代。どの時代の若者にも一定数当てはまる、何も言っていないも同然の定義。明確な輪郭を持って世代を語っているとはいえない。とはいえ、今のX世代を指すものとして当たらずといえども遠からず、という面もある。あきらめていて怒ったり反論したりもしない。影が薄い世代とされるのは、ある意味、仕方がないともいえるのだ。
 この世代が声を発したタイミングはあった。日本の話だが「ロスジェネ世代」「超氷河期世代」などの90年代半ば以降に就職期を迎えた世代が、非正規雇用が急増し、経済的困難に直面したという話は、2000年代以降に共有されるものとなった。一方、これらが解決されないうちに雇用回復の時代が来て、とりこぼされた世代を指す「お荷物世代」との声も聞こえてくるようになった。本当に就職で苦労したのは、団塊ジュニアよりも少し下の世代だった。ある世代だけを特権化するのはよくないが、「あー、あの世代ね」とひとくくりにされ、紋切り型の世代イメージで語られるようにもなっている。
 とはいえ、自分が生きてきた時代を特別な時代だとすることも、自分の世代が特別な世代だと考えることも、ましてや、その考えを他の世代に押しつけるのも得策ではない。それはブーマー世代、元祖団塊の世代の背中を見て感じることでもある。そう思っているうちにいつしか存在感のない世代になったのかもしれない。

 本書では、80 年代以降の日本の出来事、話題、事件を振り返る。その中で、自分たちの世代(主には73年生まれの世代)がどう関わっているか、どう見えていたか、という視点で再構成したものだ。さらに73年生まれの活躍、犯罪も取り上げる。同世代史、同じ世代の動向を通して見た社会の歩みを眺めていくもの。
 いくつかのテーマがある。ひとつは生活の中の細部のテクノロジー変化という目線である。団塊の世代であれば、子どもの頃に冷蔵庫、電話、テレビが家に来たときのことを覚えている。10年で社会や家の風景、生活が大きく変わった世代だ。それに比べれば、変化の少ない時代を生きた世代だが、だからこその細かな変化を見ていきたい。
 コンビニがない時代に夜中におなかが空いたらどうしていたのか。携帯電話やLINEがない時代に待ち合わせでの遅刻はどう対処していたのだろう。ペットボトルがない時代は、喉が渇いたときに何を飲んでいたのか。ちょっとしたことだが、その積み重ねが生活のあらゆる局面を変えてきたことには注目しなければならない。こういうひとつひとつの変化がどこで起きたのか、曖昧な変化の記憶をたどる。
 もうひとつのテーマは、日本の人口問題だ。少子化や人口減といった社会問題、これからの政策をどう考えるかではなく、もっとシンプルなものだ。日本人は、いつ人口が減っていくことに気づいて、いつそれに抗うことをあきらめたのか。
 裏テーマもある。それは親世代との関わりである。ちなみに筆者は73年生まれ。団塊ジュニアと呼ばれる前後の人口の波での頂点で生まれている。僕の母親は、団塊の世代でもっとも人口の多い1949年生まれだ。それぞれが、波の頂点の年に生まれた。
 本書では、自分の世代の登場人物が出てきた場合に、律儀に生まれ年を記すことを意識的に行っている。それは71~74年に絞る。そして裏テーマの親世代についても、生まれ年に触れる。広義の団塊の世代の定義である47〜52年生まれに絞る。
 ちなみに我が家は、母親は専業主婦。父親(46年生まれ)はサラリーマン。子どもは2人とも団塊ジュニア世代。核家族で団地(のちにマンション)暮らし、マイカー族。日曜日にはドライブに出かけ、帰りにロードサイドのファミレスで食事をする。まるでサンプルとして抽出されたような家族である。そこまで自分に特化した話を書くつもりはないが、サンプル紹介程度に記しておく。

   

 73年生まれでもっとも早くに頭角を現したのは、宮沢りえだった。12歳頃にはモデルとして活躍し、15歳で映画デビューを果たし、17歳でNHK紅白歌合戦に特別なポジションで出演している。80年代後半の話である。一方、比較的にブレイクの時期が遅かったのは、大泉洋だ。どこをブレイクとするかは議論の余地があるが、40代になるかならないかの頃だろうか。その時点で宮沢と25歳のずれがある。大泉と同じTEAM NACSで活躍する俳優の安田顕のブレイクは、もっと遅い。40代半ば。もちろん、アイドルと俳優タレント、お笑い芸人、スポーツ選手、クリエイター、文化人では活躍する年齢はばらばらだ。ちなみに、73年生まれにも多様な人材が存在する。
 彼らの活躍や引退(スポーツ選手であれば)を順に記すだけで、〝同世代史〟が見えてくるところがある。ちなみに活躍する同年齢が多いのは、単に生まれた人口が多いからだ。別に特別優秀な人材が多い年ということはないだろう。
 とはいえ、一部例を挙げてみる。
 野球選手では、イチロー、石井一久、中村紀洋、小笠原道大、松中信彦、三浦大輔らがいる。野球選手の73年は、当たり年だ。お笑い芸人も73世代は当たり年。ロンドンブーツ1号2号の田村淳、アリtoキリギリスの石井正則、バナナマンの設楽統、古坂大魔王、小籔千豊らがいる。俳優では深津絵里、堺雅人、浅野忠信、反町隆史、松嶋菜々子ら。ミュージシャンでは、作曲家・ピアニストの渋谷慶一郎、ノーナ・リーヴスの西寺郷太、ホフディランの小宮山雄飛らがいる。アナウンサーには、住吉美紀、下平さやか、安住紳一郎、プロレス実況で知られる清野茂樹らがいる。
 アニメーション監督の新海誠や脚本家の古沢良太も73年生まれだ。彼らのようなクリエイターは、若くから活躍するタレントや俳優よりも遅い年代で活躍を始めるものだが、両者が大ヒット作を生むようになるのは、40代以降のこと。
 ちなみに、73年生まれを日本の学校制度の同学年と定義すると、早生まれの問題が出るが、そこは割り切り、73年の1月1日〜12月31日生まれを〝73年生まれ〟と定義する。もちろん、その前後の世代を取り上げないわけではない。生まれ年の違いを強調したいのではなく、あくまでサンプルである。あくまで広い年代を対象に、なるべく多くの人に読んでもらいたいと願っている。世代特有の共感ではなく、他の世代が共有、追体験できるものであればいいとも思う。

速水健朗

著者情報

速水健朗 (ハヤミズ ケンロウ)
ライター・編集者、ラジオ司会。
1973年石川県生まれ。コンピューター誌編集者を経て、2001年よりフリーランスの編集者、ライターとして活動を始める。音楽、文学、メディア論、都市論、ショッピングモール研究、団地研究など幅広い分野で執筆。
主な著書に『1995年』(ちくま新書)、『東京β』(筑摩書房)、『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)、『自分探しが止まらない』(ソフトバンク新書)、『ケータイ小説的。』(原書房)、『東京どこに住む』(朝日新書)などがある。

コンテンツ

まえがき
第1章 ピッカピカのニュージェネレーション 1980年代
第2章 1990年代はもちろん浮かれた時代である
第3章 1973年は、どんな年だったのか
第4章 自撮りとリアリティー番組の時代 2000年代
第5章 人口減少時代と団塊ジュニアの死生観 2010年代
あとがき
参考文献