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中学校「新編 新しい社会」

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中学校「新しい社会」

「島国(海洋国)」の定義は、どのようなものでしょうか。
 地理学関係の辞典によると、島国(海洋国)の定義は「地理的な国土の位置が大陸本土から離れており、海洋に囲まれている国」というものが一般的です。
 オーストラリアは、タスマニア島などを除く国土の大部分がオーストラリア大陸であることから、「大陸本土から離れており……」という条件を満たしていないため、「島国(海洋国)」には該当しないことになります(「島国(海洋国)」ではなく、「大陸国」となります)。また、イギリスの一部(北アイルランド)はアイルランドと陸続きになっていますが、地理学関係の辞典では、イギリスは日本などとともに島国(海洋国)の例として取り上げられています。
教科書p.109・図4「アメリカの人口構成」では、ヒスパニックの割合がグラフに含まれず、グラフの外に示されています。なぜヒスパニックの割合はグラフに含まれないのでしょうか。
 出典の「現代アメリカデータ総覧」に掲載されている数値は、アメリカ合衆国で実施されたセンサス(国勢調査)にもとづいて集計したものです。このセンサスでは、ヒスパニックは人種ではなく民族としており、人種について聞く調査項目(「ヨーロッパ系」「アフリカ系」などを選択形式で聞く項目)とは別に、「スペイン系/ヒスパニックか」を尋ねる質問項目を設けています。ヒスパニック人口のデータは、この後者の質問項目に対する回答から集計しています。
 そのため、教科書では人種の割合のみをグラフに示し、ヒスパニックの割合はグラフの外に示しています。
一般的に東海地方に含まれる三重県は、なぜ7地方区分だと近畿地方に含まれるのでしょうか。
 古代の行政区分では、現在の近畿地方の大部分は畿内に属しており、現在の三重県は、東海道と南海道に属していました。当時、日本各地は日本の中心だった畿内からの遠近によって、近国・中国・遠国と分けて呼ばれており、東海道と南海道に属する現在の三重県は、近国に含まれていました。
 近畿地方という呼称が使われるようになったのは、明治時代以降になります。畿内と近国の一部が該当する地方として近畿地方と名づけられ、近国であった三重県も近畿地方として扱われるようになり、教科書では、1903(明治36)年に発行された教科書以降、三重県を近畿地方として扱っています。
 7地方区分は、法律などによって定められているものではありませんが、このような歴史的な背景もあり、現在では辞書や百科事典でも、三重県は近畿地方に分類されている場合が多くなっています。
「環太平洋造山帯」「アルプス・ヒマラヤ造山帯」の用語がなくなり、「変動帯」が使われているのはなぜですか。
 地球上で地震活動や火山活動が活発な地域は限られていて、帯のように連なって分布しています。現在一般的になっているプレートテクトニクス(地球の表面が十数枚のプレートにおおわれ、それぞれが動いているという学説)の理論では、プレートの境界に沿った地域と、地震や火山の活動が活発な地域が一致していることがわかっています。このような場所のことを「変動帯」とよびます。一方、「造山帯」をつくりだす「造山運動」はプレートがせばまる境界で起こっており、プレートが広がる境界とずれる境界は、地震活動や火山活動が起こる「変動帯」であるにもかかわらず、「造山帯」ではありません。また、「造山帯」はプレートテクトニクスの理論が一般的になる前から使われてきた古い用語であり、すでに学界では一般的でなくなったこと、高等学校で学習する造山帯には、「新期造山帯」と現在のプレート境界における変動が起こっていない「古期造山帯」とがあり、中学校では前者しか扱っていないことなどから、弊社教科書では「変動帯」を用いることにしました。
以前の教科書と用語や記述が変わっているものがありますが、どのような理由で変更したのか教えてください。
 教科書で用いている用語や年代については、学界での研究の成果を踏まえ、解釈や認識の変更が、ある程度一般的になった段階で、見直して変更しています。以下に、おもな変更点をあげますのでご参照ください(掲載ページ数は令和3年度教科書の初出ページ数)。

(1)「仁徳天皇陵」→「大仙古墳(仁徳陵古墳)」(p.34)
 堺市にあるこの古墳については、宮内庁は「仁徳天皇陵」としていますが、被葬者についての学術的な検証がされておらず、教科書の表記では「仁徳天皇陵」→「仁徳陵古墳」(仁徳陵という名の古墳)→「大仙古墳」という形で表記を変更してきました。世界遺産暫定一覧表に「百舌鳥・古市古墳群-仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳群-」として登録されたこともあり、平成24年度教科書より、「大仙古墳(仁徳陵古墳)」という表記をしています。
 なお、「大仙古墳」は、「大きな山」という意味からの呼称で、「大山古墳」と表記する場合がありますが、弊社教科書では、堺市の所在地の住居表示である「大仙町」の表記にもとづき、「大仙古墳」としています。

(2)「大和朝廷」→「大和政権」(p.34)
 学習指導要領では、「大和朝廷(大和政権)」という文言が使われていますが、学界では、3世紀後半は、教科書にもあるように、王を中心に有力な豪族の連合という性格であり、天皇中心に百官が政務をとるというイメージの「朝廷」という語を用いるべきではないという考えが一般的であり、こうした流れを受けて、「大和政権」と表記を改めました。

(3)「問丸」→「問」(p.83)
 史料の多くでは「問」と表現されており、職名としては「問」という名称であったと考えられる点や、「問丸」という呼称が、「馬借丸」などと同様に、貴族が身分の低いものを呼ぶ蔑称であったと考えられる点から、「問」と表現しました。
 また、近世ででてくる「問屋」の読みについても、従来はおもに「といや」としていましたが、江戸期では特に「とんや」という呼称が用いられたという点から、「とんや」という読みでふりがなをふっています。

(4)「町衆」の読み(p.83)
 「町衆」の読みについては、従来の「まちしゅう」を「ちょうしゅう」とし、下に「まち(しゅう)」と示しました。
 応仁の乱以後、都市の中に成立してくる生活共同体のことを「町(ちょう:単なる商業地域という意味ではなく、通りをはさむ家々で組織される生活共同体)」と呼び、その構成員である『町衆』は、「町」に寄る人々であり、当時の発音(「日葡辞書」「節用書」など)に従って「ちょうしゅう」と呼ぶべきであると判断し、読みを変更しました。

(5)「天領」→「幕領」(p.114)
 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していましたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっています。
 江戸時代当時は「御料」、「公料」といった呼称が使われていたようですが、幕府の直轄領という性格を端的に示す表現として、「幕領」という表現にしています。

(6)「島原の乱」→「島原・天草一揆」(p.119)
 「島原の乱」については、その地域性や性格をより適切に表現すべきとの考えから、「島原・天草一揆」と表記しました。
 一揆の中心地域は、むしろ天草であり、宗教反乱としてよりも、農民一揆としての性格を重視すべきであると判断しました。

(7)「踏絵」→「絵踏」(p.119)
 禁教令が出されて以降の、幕府のキリスト教徒取り締まりの過程で行われた行為については、従来は「踏絵」という表記をしてきましたが、実際には、踏ませたものと、その行為自体の呼称が異なっていたという点から、踏ませる行為を「絵踏(えふみ)」、踏ませるものを「踏絵」と区別して表記し、正確を期した表現としました。

(8)「清教徒革命」の年代(折込年表)
 清教徒(ピューリタン)革命の経緯については以下のとおりです。
 1640年 長期議会=王権を制限する諸改革
 1642年 第1次内乱=議会派・国王派の内乱⇒議会派の勝利
 1647年 第2次内乱=議会派内部(長老派・独立派)の対立⇒独立派の勝利
 1649年 チャールズ1世の処刑⇒共和政
 1653年 クロムウェル護国卿に就任
 1660年 王政復古
 このように、革命の過程が長期にわたるため、最近の一般向け年表などでは、「清教徒革命」として特定の年代を示さず、上の個々の事件を示す場合が多くなってきました。現在、中・高の教科書などでも、清教徒革命の年代を示す場合、「1649年」「1642〜1649年」「1640〜1660年」の3通りがとられています。
 弊社の教科書では、「1640〜1660年」を採用し、長期議会から王政復古に至る流れ全体を革命の過程としました。長期議会によって進められた諸改革を、絶対王政から議会政治への転換点として評価するとらえ方です。
 教科書では、アメリカ独立・フランス革命・産業革命を同時期の大転換点として強調しており、その前史として17世紀のイギリスにおける議会政治の発達を見た場合、長期議会における改革を軽視すべきではないと考え、「1640年に革命が始まった」としています。

(9)「セポイの反乱」→「インド大反乱」(p.161)
 この乱の発端は、インド人傭兵(セポイ・シパーヒー)の蜂起によりますが、さまざまな階層の人々が加わり、都市から農村へと拡大した大反乱となりました。これを「セポイの反乱」とすると、反乱の実態・性格を十分に表現できないと判断し、「インド大反乱」としました。

(10)「解放令」→「解放令」(「賤称廃止令」)(p.169)
 布告の内容をより正確に示し、人権にも配慮した表現である「賤称廃止令」を併記しました。
 1871(明治4)年に出された太政官布告にはもともと名称がなく、その内容から「解放令」、「賤称廃止令」などと呼ばれています。
 布告の内容は、「えた・ひにん等の称を廃止して分職業共平民と同じにする」というもので、長年にわたる賤民制度が廃止されたことはいえても、被差別部落の人々の本来の「解放」をもたらしたものとはいえないことから、近年の研究でも、えた・ひにん等の称を廃したことを示す「賤称廃止令」という表現が多く用いられています。

(11)「四民平等」(p.169)
 江戸時代の身分制度は、大きく「武士」と「百姓」「町人」に分けられ、百姓と町人には身分上の上下関係がなかったこと、また、えた身分、ひにん身分等は「身分外の身分」という扱いを受けていたとされています。一方、明治時代に江戸時代の身分制度を廃止していく過程では、「四民平等」という言葉が、当時の人々の人口に膾炙しており、近世以来、「四民」を指すものとして、「士農工商」が用いられていました。
 平成24年度教科書より、「武士と百姓・町人」という江戸時代の身分制度が定説的な理解を得ているという前提に立って、江戸時代の身分制度の廃止について、明治時代当時に用いられた「四民平等」の語を示すことで、生徒の理解がより深まると判断し、その説明として「士農工商」の語を側注の形で紹介しています。その際、「士農工商えたひにん」という、以前のヒエラルキー的な身分制度の理解に陥らないよう、「武士(士)、百姓(農)、町人(工商)」という形の記述をとり、近世の身分制度が「武士と百姓・町人」である点を改めて示しています。

(12)「ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)」(p.225)
 ナチスの正式名称はドイツ語でNationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei であり、冒頭のNationalについては「国家(の)」という意味とならんで、「国民(の)」という意味があります。従来、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」と訳されていましたが、最近の学界では、言葉の本来の意味として「国民社会主義〜」と訳すべきであるといわれており、こうした趨勢を受けて、教科書では、平成18年度より「国民社会主義ドイツ労働者党」という名称を用いております。

(13)「連合国軍最高司令官総司令部」(p.253)
 GHQの英語の正式名称であるGeneral Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powersの日本語訳として、「連合国軍最高司令官総司令部」と表記しています(General Headquartersが「総司令部」、the Supreme Commanderが「最高司令官」、the Allied Powersが「連合国軍」に当たります)。なお、「GHQ/SCAP」という略称が用いられることもありますが(「SCAP」はthe Supreme Commander for the Allied Powersの略)、教科書では一般に用いられる「GHQ」の略称を採用しています。
ペリー来航から明治6年までの西暦年の表記について
 教科書では、和暦での出来事が西暦では何年にあたるかを変換して表記していますが、ペリー来航から明治6年の西暦の採用の間は、日本での記録と欧米諸国での記録との間に、出来事が起こった年月日のずれが生じることが多くあります。こうした際にも、歴史学の研究分野での表記方法に従い、和暦(日本での記録)を西暦(欧米諸国での記録)に変換する表記を採用し(例:「安政元年」→「西暦1854年」)、生徒が歴史について書かれた文献、資料を目にする際に、教科書と文献等の表記との齟齬により混乱することがないよう配慮しております。
教科書p.12で、「核家族世帯」の定義を「親と子ども、あるいは夫婦だけ」としている根拠を教えてください。
 国勢調査の定義を根拠としています。「核家族」とは、アメリカの社会人類学者であるマードックが、夫婦および子どもの三者を家族の基礎的な単位として“nuclear family”と呼んだのを、日本語訳した用語です。そのため、人類学や社会学などでは「夫婦および子どもからなる家族」という意味で用いられることが多いですが、教科書では、1950年代から70年代初めにかけての日本の家族形態の変化について統計資料を用いて示すために、国勢調査の定義を用い、用語も国勢調査と同じ「核家族世帯」を用いています。
教科書p.42で、GHQの日本語名称を「連合国軍総司令部」ではなく「連合国軍最高司令官総司令部」と表記されているのはなぜでしょうか。
 GHQの英語の正式名称である General Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powers の日本語訳として、「連合国軍最高司令官総司令部」と表記しています(General Headquarters が「総司令部」、the Supreme Commander が「最高司令官」、the Allied Powers が「連合国軍」に当たります)。なお、 「GHQ/SCAP」という略称が用いられることもありますが(「SCAP」は the Supreme Commander for the Allied Powers の略)、教科書では一般に用いられる「GHQ」の略称を採用しています。
教科書p.57で、「労働基本権」は「労働三権」と同じ意味の語句として示されていますが、「勤労の権利」は「労働基本権」に含まれないのでしょうか。
 「労働基本権」の定義については、「労働三権」(日本国憲法第28条)と「勤労の権利」(第27条第1項)の両方を含む使い方と、「労働三権」のみを指す使い方のおもに2通りがあります。教科書では、おもに憲法の観点から「労働基本権」を取り上げているため、近年、憲法学で一般的に用いられている後者の定義を採用しています。
教科書p.58~59で、「請願権」を「請求権」でなく、「参政権」の一つとしている理由を教えてください。
 「請願権」の位置づけについて、憲法学では、請願の受理という国務を請求する権利であるととらえて「請求権」の一つとする見方と、選挙以外の場で国民の意思を国政に反映させる一つの手段ととらえて「参政権」の一つとする見方があります。近年では後者の見方が多くなってきていることから、2012年度の教科書から「参政権」の一つとして記述しています。
教科書p.64~65の本文で、「情報公開法」「個人情報保護法」でなく、「情報公開制度」「個人情報保護制度」と表記しているのはなぜでしょうか。
 「情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)」は、国の行政機関が保有する情報の開示について定めた法律です。地方公共団体については、各地方公共団体において「情報公開条例」を定めており、独立行政法人については、「独立行政法人の保有する情報の公開に関する法律」という別の法律によって定められています。そのため、教科書の本文では、これらの法律・条例によって定められている制度の全体を指して「情報公開制度」と表記しています。
 「個人情報保護法(個人情報の保護に関する法律)」は、国だけでなく地方公共団体や独立行政法人、民間事業者も対象とする法律ですが、多くの地方公共団体は、この法律の制定に先立って独自に「個人情報保護条例」を定めています。そのため、「情報公開制度」と同様に、これらの法律・条例によって定められている制度の全体を指して「個人情報保護制度」と表記しています。
教科書p.102の写真1および法廷図と、p.104の写真1および法廷図とで、弁護人席・被告人席と検察官席の位置が逆になっているのはなぜでしょうか。
 法廷における席の配置については明確なルールが定められているわけではなく、特に刑事裁判における弁護人席・被告人席と検察官席の位置は、裁判所や法廷によって異なります。教科書p.102・写真1とp.104・写真1が撮影された法廷の配置が異なっており、法廷図も各写真に合わせて作成したため、弁護人席・被告人席と検察官席の位置が逆になっています。
 なお、全国的には、傍聴人席から向かって左側が検察官席、右側が弁護人席・被告人席という、p.104・写真1の配置が多いようです。また、少数ですが、被告人席が証言台の後方に裁判官席と向かい合って配置される場合や、弁護人と被告人が並んで着席する場合もあるようです。
教科書p.151の「均衡価格」とp.152の「市場価格」は、どのような関係にあるのでしょうか。
 「均衡価格」は、需要と供給が一致して市場が均衡状態になる価格のことを指し、「市場価格」は、実際に市場で取り引きされる価格を指します。「市場価格」は、長期的には需要と供給を一致させる傾向がありますが、短期的には不均衡におちいることもあります。つまり、「市場価格」は「均衡価格」と「不均衡価格」の両方を含む用語であるといえます。
教科書p.159とp.165・図3で、日本銀行の金融政策の例として「公開市場操作」が示されていますが、「公定歩合操作」を取り上げていない理由を教えてください。
 かつて、日本銀行の金融政策といえば「公定歩合操作」が中心でしたが、1990年代以降の金融自由化の進展にともない、公定歩合に連動しない金利が多くなったため、現在では金融政策としての意義は非常に小さくなりました。一方で、日本銀行は無担保コールレート(翌日物)を政策金利として位置づけており、「公開市場操作」が主たる金融政策手段となりました。そのため、教科書では「公定歩合操作」については取り上げず、「公開市場操作」について説明をしております。
 なお、同じく金融政策の一手段である「預金準備率操作」は、そもそも頻繁に行われるものではなく、1991年以降行われていないため(2021年2月現在)、教科書では取り上げておりません。

※次の指導資料もご参照ください
日本銀行の金融政策手段について―公開市場操作中心の金融政策―
教科書p.162~165で、本文では「国債」と示すいっぽう、歳入のグラフでは「公債金」、歳出のグラフでは「国債費」と表現が異なっているのはなぜでしょうか。
 国の公債について、本文等では「国債」という表記を用いておりますが、グラフにおいては、原典としている財務省資料の表記に基づいて、歳入では「公債金」、歳出では「国債費」を用いております。財務省は、歳出の「国債費」では利子の支払いなどが含まれ、歳入の「公債金」とは異なる性質のものであるため、表現を変えて示しています。
教科書p.168のグラフ2「社会保障給付費の推移」の金額と、グラフ3「社会保障給付費の財源の内訳」の総額が異なっているのはなぜでしょうか。
 グラフ2では「社会保障や社会福祉等の社会保障制度を通じて1年間に国民に給付される金銭またはサービスの合計額」(厚生労働省)である「社会保障給付費」の金額を示していますが、グラフ3では「社会保障給付費の財源」として、給付にかかわる管理費や運用損失、その他事務費などを含めた金額を示しています。そのため、グラフ3のほうが金額が大きくなっています。

中学校「新しい社会 地図」

日本北部の国境線が千島列島に2か所と、樺太中部、宗谷海峡の計4か所に表示してあるのはどうしてでしょうか。
 日本北部の国境線や領土の表示については、検定教科書は全て文部科学省より次のように指示されています。(1)歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島は日本領土として扱い、南樺太と残りの千島列島は未帰属地域とする(領土の色をつける場合は白色とする)、(2)国境線を択捉島と得撫島の間、占守島とカムチャツカ半島の間、樺太と北海道の間、樺太の北緯50度のところに入れる、などです。
 北方領土については、領土問題はヤルタ協定、ポツタム宣言、サンフランシスコ平和条約などの一連の国際協定によって“全て解決済み”としてきた旧ソ連との間で対立してきましたが、日本国としては以下のような経緯を踏まえて領土返還を主張してきました。
 まず、1854年(新暦では1855年)の「日露和親条約」(日魯通好条約)によって日本とロシアとの国家間の交流が開始されましたが、この条約では、“樺太島については国境を設けず混在の地とする” “千島列島については択捉島と得撫島の間を国境とする”とされました。
 そして、1875年、日本・ロシア間の「千島・樺太交換条約」で、日本はロシアから千島列島(条約には占守島から得撫島まで18の島々の名が列挙してある)を譲り受けるかわりに、樺太全島を放棄しました。
 その後、1905年、日露戦争終結時の「ポーツマス条約」で、樺太の北緯50度以南をロシアより譲り受け、この状態で第二次世界大戦に入っていきます。
 そして、戦後、1951年の「サンフランシスコ平和条約」で、日本は南樺太と千島列島を放棄しましたが、ソ連は、同条約は極東で新しく戦争を準備するものとして、調印を拒否しているため、それがどこに帰属するかは未決であり、日本政府としては、国後・択捉両島は日本国有の領土であって、サンフランシスコ平和条約で放棄した“千島列島”には含まれないとの見解を示しています(地理的範囲としての千島列島については不明としています)。
 このように、日本としては、北方領土問題は日ロ平和条約締結のための交渉のなかで解決されるものとして今日に至っています。
地図帳に表記する外国の地名の呼び名は、何を基準としているのでしょうか。
 そのよりどころは「検定基準」と「新地名表記の手引」です。
「検定基準」では、外国地名については次のように定められています。
・外国の国名の表記は、原則として外務省公表資料等信頼性の高い資料によること。
・外国の地名及び人名の表記については、慣用を尊重すること。

2 「新地名表記の手引」(以下「手引」)は310ページにおよびますので、概略をお知らせします。
ポイントは、
・地名はなるべく、その国なりその地域なりの呼び方によって書く。ただし慣用の熟しているものは、それに従って書く。
・現地での呼び方の基準として、それぞれの国における公用のほか国際的機関による統一表記を重視する。慣用についても、日本における慣用のほか、国際的慣用についても考慮する。
・片仮名書きの表記は、原則として、小学校、中学校、高等学校を通じて一定する。

 「手引」は初版が昭和53年に作成されましたが、その後文化庁が「外来語の表記」を示したこと、東欧・ソ連の変革などで地名自体が改変されたことを受けて改訂され、平成6年に新版がまとめられました。
 見直しにあたっては、帝国書院、二宮書店、教育出版、東京書籍といった各教科書会社のほか、文部省、マスコミ関係者、外務省、文化庁などが参画しました。

◆東京書籍の地図帳で書き改めた箇所
 例えばスカンジナビア半島がスカンディナビア半島に、イタリアのサルジニア島をサルデーニャ島、カタロニアをカタルーニャに書き改めています。これらはほんの一例で、高等学校レベルでは1,000以上になります。

◆ブ、ヴの使い分けについて
 「手引」では、書くうえでは使い分けが可能ですが、日本人が耳で聞き分け、発音するうえで使い分ける段階には達しているとはいえないため採用を見送っています。東京書籍の地図帳も同様です。また、マスコミも現在は用いていません。

なお、「手引」は株式会社ぎょうせいから市販されています。
エスキモーとイヌイットの記述について教えてください。
 「イヌイット」とはカナダ北部にすむ先住民族をさす呼び名として使われております。カナダでは先住民運動の盛りあがりもあって、「エスキモー」(生肉を食べる人の意)という呼び名は使用せず、「イヌイット」(人間の意)を公式の呼び名としております。アラスカでは「エスキモー」という呼び名が使われることもあります。
 またグリーンランドでは、現在はグリーンランド人を意味する「カラーリット」が民族名称として用いられつつあります。一時期「イヌイット」が「エスキモー」に代わる呼称であるとの誤解がなされたことがあったようです。

(参考文献:岸上伸啓「イヌイット-『極北の狩猟民』のいま」中公新書)
地図記号は、だれがどのように決めているのですか。
 地図記号は、世界的にみると千差万別です。国によって異なるケースも多いのですが、なかには似ているものもあります。国ごとに地域の特徴を表現した記号を用いています。日本では、国土交通省国土地理院で策定した記号に準じていることが多いといえます。国土地理院の地図記号は、(1)簡潔に表現、(2)そのものをイメージさせる、(3)他と区別がつくこと、を基本にしています。使う人々が想像しやすい形として、神社の(鳥居)、税務署の(そろばんの珠)などがあります。
 平成14年から図書館と博物館の記号が国土地理院発行2万5千分の1地形図に加わりました。初版の改訂となった浦和、大宮などから順次採用されています。また、平成18年には、風力発電所や老人ホームの記号も新設されました。東京書籍の地図帳でも用いています。

いろいろな記号
(国土地理院発行2万5千分の1地形図より)
なぜ地図は北を上にするのですか。
 北向きの地図が多いことは確かですが、必ずしも北向きの地図ばかりではありません。南半球のオーストラリアでは南を上にした地図が存在します。日本でも、古地図には北が上ではないものが多くあります。移動するときに進行方向を上に向けると理解しやすいということもあり、そのような場合には北を方位記号で補助しています。定説はありませんが、各国政府機関が発行する地図の大部分は、上方を北にしていることは確かです。

さまざまな方位記号
一般図とはどういう図なのですか。また主題図との違いは何ですか。
 標高や河川、海岸線、地名、交通路など、どれに重点をおくということでなく、多くの情報を描いた図を一般図と呼びます。英語では general map といいます。一般図には、土地の高さが分かる等高線が描かれています。国土地理院発行の地形図は、その代表です。表す内容は縮尺によって違ってきます。1万分の1くらいの縮尺になると、家屋を1軒ごとに表示することも可能です。
 それに対して、ある目的のために使う地図、たとえばラーメン屋をいっぱいのせた地図や鉄道の路線図など、あるテーマを表現した地図を主題図と呼びます。こちらは英語では thematic map、 topical map といいます。
 p.81-82、p.143-144などが一般図で、p.83-84、p.145-146などが主題図です。
日本の地名は何に基づいて表しているのですか。
 地名は、その地域の特徴を体現しています。地名にはその地域のさまざまな歴史や文化、自然が反映されています。このため、同じ山や川でも地域が違うと複数の呼称が存在することがあります。例えば、日本一長い河川である信濃川は、長野県側では千曲川と呼んでいます。
 東京書籍の地図帳では、検定基準に基づいて国土地理院発行の地形図に記載しているものを採用しています。都道府県や市町村などの行政地名は、総務省に届け出た呼称を採用しています。また、自然地名と行政地名とも、地名の語源や字源などを参考にしながら、ルビを付しています。例えば相模川の読み方は「さがみがわ」ですが、「が」は相と模の間に置いています。
標高はどのように測っているのですか。
 日本では、国土地理院が国土の骨格となる位置や標高などの測量をしています。測量地点は、山の山頂部分だけではなく、平野など多々ありますが、東京湾の潮の満ち引きの平均(平均海面)から測った高さが標高として表示されています。標高は一定ではありません。地殻変動や侵食、堆積により地形が変わり、標高が変わることがあります。また、新たな測量成果により標高が変わることもあります。
 東京書籍の地図帳では、国土地理院が発行する最新の地形図に記載された標高や、国立天文台編『理科年表』に記載された標高を採用しています。山の標高は、最高地点が測量されているとは限らないため、地形図から読み取って記載しているところもあります。

山の標高表示
日本の緯度、経度が変わったのですか。
平成14年4月「測量法」の改正により、日本地図にある経緯度の表し方が、日本独自の方式から世界規準の方式に変わりました。新しい方式を世界測地系といいます。その結果、経緯度が今までより南東に約400m移動しました。
 東京書籍の地図帳は、世界測地系に対応しています。しかし、100万分の1の縮尺の地図では約0.4mmの違いで、見た目には変化がわからないほどです。国土地理院では、世界測地系に対応した各地の新しい経緯度を、インターネット上で公開しています。
http://www.gsi.go.jp/LAW/G2000-g2000faq-1.htm
「東京」という市町村はないのに、東京都庁の位置に「東京」と表しているのはなぜですか。
 東京都の条例によれば、都庁の所在地は「東京都新宿区西新宿二丁目」と定められています。しかし、東京書籍の地図帳ではこの位置に「東京」と記載しています。 この背景には、東京23区の地方公共団体としての位置づけがあります。東京23区は、地方自治法では特別区と定められており、ほかの市町村とは別扱いされています。現実に消防などの権限はなく、税制でも固定資産税などは都税になっていたり、ほかの市町村と異なることが多く見られます。
 そうしたこともあってだと考えられますが、国土地理院発行の20万分の1地勢図でも、東京の23区をひとまとまりにして「東京」と記載することが、慣習になっています。
 さらに歴史的な経緯を振り返ると、23区はかつて存在した東京市に由来しているとも考えられます。

中学校「新編 新しい社会」

「島国(海洋国)」の定義は、どのようなものでしょうか。
 地理学関係の辞典によると、島国(海洋国)の定義は「地理的な国土の位置が大陸本土から離れており、海洋に囲まれている国」というものが一般的です。
 オーストラリアは、タスマニア島などを除く国土の大部分がオーストラリア大陸であることから、「大陸本土から離れており……」という条件を満たしていないため、「島国(海洋国)」には該当しないことになります(「島国(海洋国)」ではなく、「大陸国」となります)。また、イギリスの一部(北アイルランド)はアイルランドと陸続きになっていますが、地理学関係の辞典では、イギリスは日本などとともに島国(海洋国)の例として取り上げられています。
ノルウェーの面積が資料によっては日本より大きかったり小さかったりするのはなぜですか。
 統計数値は、出典の違いや、同じ出典でも年次の違いによって、大きく異なる場合があります。面積の数値が異なるのは、国土面積の基準(特に湾岸、河川・湖沼の面積を含めるかどうか)や採用されている面積測量法に各国間で違いが見られるためだといわれています。
 教科書p.282~283の面積の統計数値については、国際連合の発行している『世界人口年鑑』(Demographic Yearbook)に載っている数値を採用しています。ノルウェーの面積は、出典の年次によって大きく異なり、例えば、『世界人口年鑑』の2012年版ではノルウェーの面積は「323,787km2」と表されていますが、2001年版では「385,155km2」と表されていました。この違いは、特殊な統治形態が見られるスバールバル諸島の面積(約62,000km2)をノルウェーに含めるかどうか、という統計処理上の基準が変わったためだと考えられます。なお、出典が異なる場合には、2012年版のデータでも約38.5万km2と表されることもあります。
教科書p.91・グラフ5「アメリカの人口構成」では、ヒスパニックの割合がグラフに含まれず、グラフの外に示されています。なぜヒスパニックの割合はグラフに含まれないのでしょうか。
 出典の「現代アメリカデータ総覧」に掲載されている数値は、アメリカ合衆国で実施されたセンサス(国勢調査)にもとづいて集計したものです。このセンサスでは、ヒスパニックは人種ではなく民族としており、人種について聞く調査項目(「ヨーロッパ系」「アフリカ系」などを選択形式で聞く項目)とは別に、「スペイン系/ヒスパニックか」を尋ねる質問項目を設けています。ヒスパニック人口のデータは、この後者の質問項目に対する回答から集計しています。
 そのため、教科書では人種の割合のみをグラフに示し、ヒスパニックの割合はグラフの外に示しています。
東京都の都庁所在地は、なぜ「東京」となっているのでしょうか。
 都道府県庁の所在地は、条例でそれを定めるよう地方自治法で定められており、現在の東京都庁の所在地は「東京都新宿区西新宿二丁目8番1号」となっています。一方、国土地理院発行の地図には、「すべての市町村を記載する」という決まりがあります。「新宿区」は地方自治法で定められた特別地方公共団体にあたり、通常の市町村(普通地方公共団体)とは異なるため、東京の都庁所在地として「新宿区」と記載することができません。そのため、国土地理院発行の地図では、旧東京市の範囲である現在の東京23区(特別区)の総称として、東京都の都庁所在地を「東京」と長らく表記してきました。
 教科書や地図帳に掲載される地図や巻末統計資料においては、この国土地理院が発行する地図に準じた表記をとっているため、東京都の都庁所在地を「東京」と記しています。
一般的に東海地方に含まれる三重県は、なぜ7地方区分だと近畿地方に含まれるのでしょうか。
 古代の行政区分では、現在の近畿地方の大部分は畿内に属しており、現在の三重県は、東海道と南海道に属していました。当時、日本各地は日本の中心だった畿内からの遠近によって、近国・中国・遠国と分けて呼ばれており、東海道と南海道に属する現在の三重県は、近国に含まれていました。
 近畿地方という呼称が使われるようになったのは、明治時代以降になります。畿内と近国の一部が該当する地方として近畿地方と名づけられ、近国であった三重県も近畿地方として扱われるようになり、教科書では、1903(明治36)年に発行された教科書以降、三重県を近畿地方として扱っています。
 7地方区分は、法律などによって定められているものではありませんが、このような歴史的な背景もあり、現在では辞書や百科事典でも、三重県は近畿地方に分類されている場合が多くなっています。
以前は「専業農家」「兼業農家」の農家区分が使われていましたが、現在ではなぜ「主業農家」「準主業農家」「副業的農家」という農家区分が使われるようになったのでしょうか。
 1995年の農業センサス(農林水産省が5年ごとに実施する、農業の生産・就業構造や実態についての調査。林業の調査と合わせて「農林業センサス」とも呼ばれる)から、「主業農家」「準主業農家」「副業的農家」の農家区分が使用されるようになりました。
 近年、統計上で示される「専業農家」の多くは高齢化・後継者不足が深刻になり、農業の中心的な担い手は、いわゆる「兼業農家」になっていました。従来の「専業農家」「兼業農家(第1種、第2種)」の農家区分では、世帯員に一人でも兼業従業者(農業以外の有所得者)がいれば、「兼業農家」に分類されます。また、請負耕作などで経営規模を拡大しても「兼業農家」に分類されてしまいます。
 このように、今日的な農業構造動態に区分が合わなくなってしまったため、次のような実態に即した区分が使用されるようになりました。
主業農家……… 農業所得が主(農家所得の50%以上が農業所得)で、1年間に60日以上自営農業に従事している65歳未満の世帯員がいる農家をいう。
準主業農家…… 農外所得が主(農家所得の50%未満が農業所得)で、1年間に60日以上自営農業に従事している65歳未満の世帯員がいる農家をいう。
副業的農家…… 1年間に60日以上自営農業に従事している65歳未満の世帯員がいない農家(主業農家及び準主業農家以外の農家)をいう。
教科書p.166・グラフ4では、なぜ各工業地帯・地域の統計数値を都府県レベルで算出しているのでしょうか。
 まず、工業地帯・地域の範囲について明確な定義というものはありません。したがって、典拠としている「工業統計調査」においても、各工業地帯・地域別の生産額に関する数値データは掲載されていません。
 教科書p.166・図3で示しているとおり、実際の各工業地帯・地域は複数都府県の一部を範囲としています。しかし、この区分どおりの数値を示すことが困難であるため、教科書p.166・グラフ4に示したように便宜的に「○○工業地帯(地域)=△△県+▲▲県」といった定義づけをし、それぞれの都府県の生産額を足し合わせて算出しています。
 東京書籍の教科書では、以下のように各工業地帯・地域の範囲を定義して、統計数値を示しています。
 【北関東工業地域】 茨城県+栃木県+群馬県
 【京浜工業地帯】 東京都+神奈川県+埼玉県
 【京葉工業地域】 千葉県
 【北陸工業地域】 新潟県+富山県+石川県+福井県
 【東海工業地域】 静岡県
 【中京工業地帯】 愛知県+三重県
 【阪神工業地帯】 大阪府+兵庫県
 【瀬戸内工業地域】 岡山県+広島県+山口県+香川県+愛媛県
 【北九州工業地域】 福岡県
以前の教科書と用語や記述が変わっているものがありますが、どのような理由で変更したのか教えてください。
 教科書で用いている用語や年代については、学界での研究の成果を踏まえ、解釈や認識の変更が、ある程度一般的になった段階で、見直して変更しています。以下に、おもな変更点をあげますのでご参照ください(掲載ページ数は平成28年度教科書の初出ページ数)。

(1)「仁徳天皇陵」→「大仙古墳(仁徳陵古墳)」(p.36)
 堺市にあるこの古墳については、宮内庁は「仁徳天皇陵」としていますが、被葬者についての学術的な検証がされておらず、教科書の表記では、「仁徳天皇陵」→「仁徳陵古墳」(仁徳陵という名の古墳)→「大仙古墳」という形で表記を変更してきました。世界遺産暫定一覧表に「百舌鳥・古市古墳群-仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳群-」として登録されたこともあり、平成24年度教科書より、「大仙古墳(仁徳陵古墳)」という表記をしています。
 なお、「大仙古墳」は、「大きな山」という意味からの呼称で、「大山古墳」と表記する場合がありますが、弊社教科書では、堺市の所在地の住居表示である「大仙町」の表記にもとづき、「大仙古墳」としています。

(2)「大和朝廷」→「大和政権」(p.36)
 学習指導要領では、「大和朝廷」という文言が使われていますが、学界では、3世紀後半は、教科書にもあるように、王を中心に有力な豪族の連合という性格であり、天皇中心に百官が政務をとるというイメージの「朝廷」という語を用いるべきではないという考えが一般的であり、こうした流れを受けて、「大和政権」と表記を改めました。

(3)「問丸」→「問」(p.82)
 史料の多くでは「問」と表現されており、職名としては「問」という名称であったと考えられる点や、「問丸」という呼称が、「馬借丸」などと同様に、貴族が身分の低いものを呼ぶ蔑称であったと考えられる点から、「問」と表現しました。
 また、近世ででてくる「問屋」の読みについても、従来はおもに「といや」としていましたが、江戸期では特に「とんや」という呼称が用いられたという点から、「とんや」という読みでふりがなをふっています。

(4)「町衆」の読み(p.83)
 「町衆」の読みについては、従来の「まちしゅう」を「ちょうしゅう」とし、下に「まち(しゅう)」と示しました。
 応仁の乱以後、都市の中に成立してくる生活共同体のことを「町(ちょう:単なる商業地域という意味ではなく、通りをはさむ家々で組織される生活共同体)」と呼び、その構成員である『町衆』は、「町」に寄る人々であり、当時の発音(「日葡辞書」「節用集」など)に従って「ちょうしゅう」と呼ぶべきであると判断し、読みを変更しました。

(5)「天領」→「幕領」(p.112)
 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していましたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっています。
 江戸時代当時は「御料」、「公料」といった呼称が使われていたようですが、幕府の直轄領という性格を端的に示す表現として、「幕領」という表現にしています。

(6)「島原の乱」→「島原・天草一揆」(p.117)
 「島原の乱」については、その地域性や性格をより適切に表現すべきとの考えから、「島原・天草一揆」と表記しました。
 一揆の中心地域は、むしろ天草であり、宗教反乱としてよりも、農民一揆としての性格を重視すべきであると判断しました。

(7)「踏絵」→「絵踏」(p.117)
 禁教令が出されて以降の、幕府のキリスト教徒取り締まりの過程で行われた行為については、従来は「踏絵」という表記をしてきましたが、実際には、踏ませたものと、その行為自体の呼称が異なっていたという点から、踏ませる行為を「絵踏(えふみ)」、踏ませるものを「踏絵」と区別して表記し、正確を期した表現としました。

(8)「清教徒革命」の年代(折込年表)
 清教徒(ピューリタン)革命の経過については以下のとおりです。
 1640年 長期議会=王権を制限する諸改革
 1642年 第1次内乱=議会派・国王派の内乱⇒議会派の勝利
 1647年 第2次内乱=議会派内部(長老派・独立派)の対立⇒独立派の勝利
 1649年 チャールズ1世の処刑⇒共和政
 1653年 クロムウェル護国卿に就任
 1660年 王政復古
 このように、革命の経過が長期にわたるため、最近の一般向け年表などでは、「清教徒革命」としては特定の年代を示さず、上の個々の事件を示す場合が多くなってきました。現在、中・高の教科書などでも、清教徒革命の年代を示す場合、「1649年」「1642~1649年」「1640~1660年」の3通りがとられています。
 弊社の教科書では、「1640~1660年」を採用し、長期議会から王政復古に至る流れ全体を革命の過程としました。長期議会によって進められた諸改革を、絶対王政から議会政治への転換点として評価するとらえ方です。
 教科書では、アメリカ独立・フランス革命・産業革命を同時期の大転換点として強調しており、その前史として17世紀のイギリスにおける議会政治の発達を見た場合、長期議会における改革を軽視すべきではないと考え、「1640年に革命が始まった」としています。

(9)「セポイの反乱」→「インド大反乱」(p.153)
 この乱の発端は、インド人傭兵(セポイ・シパーヒー)の蜂起によりますが、さまざまな階層の人々が加わり、都市から農村へと拡大した大反乱となりました。これを「セポイの反乱」とすると、反乱の実態・性格を十分に表現できないと判断し、「インド大反乱」としました。

(10)「四民平等」(p.161)
 江戸時代の身分制度は、大きく「武士」と「百姓」「町人」に分けられ、百姓と町人には身分上の上下関係がなかったこと、また、えた身分、ひにん身分等は「身分外の身分」という扱いを受けていたとされています。一方、明治時代に江戸時代の身分制度を廃止していく過程では、「四民平等」という言葉が、当時の人々の人口に膾炙しており、近世以来、「四民」を指すものとして、「士農工商」が用いられていました。
 平成24年度教科書より、「武士と百姓・町人」という江戸時代の身分制度が定説的な理解を得ているという前提に立って、江戸時代の身分制度の廃止について、明治時代当時に用いられた「四民平等」の語を示すことで、生徒の理解がより深まると判断し、その説明として「士農工商」の語を側注の形で紹介しています。その際、「士農工商えたひにん」という、以前のヒエラルキー的な身分制度の理解に陥らないよう、「武士(士)、百姓(農)、町人(工商)」という形の記述をとり、近世の身分構成が「武士と百姓・町人」である点を改めて示しています。

(11)「ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)」(p.227)
 ナチスの正式名称はドイツ語でNationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiであり、冒頭のNationalについては「国家(の)」という意味とならんで、「国民(の)」という意味があります。従来、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」と訳されていましたが、最近の学界では、言葉の本来の意味として「国民社会主義~」と訳すべきであるといわれており、こうした趨勢を受けて、教科書では、平成18年度より「国民社会主義ドイツ労働者党」という名称を用いております。

(12)「連合国軍最高司令官総司令部」(p.243)
 GHQの英語の正式名称である General Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powers の日本語訳として、「連合国軍最高司令官総司令部」と表記しています(General Headquarters が「総司令部」、the Supreme Commander が「最高司令官」、the Allied Powers が「連合国軍」に当たります)。なお、「GHQ/SCAP」という略称が用いられることもありますが(「SCAP」は the Supreme Commander for the Allied Powers の略)、教科書では一般に用いられる「GHQ」の略称を採用しています。
ペリー来航から明治6年までの西暦年の表記について
 教科書では、和暦での出来事が西暦では何年にあたるかを変換して表記していますが、ペリー来航から明治6年の西暦の採用の間は、日本での記録と欧米諸国での記録との間に、出来事が起こった年月日のずれが生じることが多くあります。こうした際にも、歴史学の研究分野での表記方法に従い、和暦(日本での記録)を西暦(欧米諸国での記録)に変換する表記を採用し(例:「安政元年」→「西暦1854年」)、生徒が歴史について書かれた文献、資料を目にする際に、教科書と文献等の表記との齟齬により混乱することがないよう配慮しております。

中学校「新編 新しい社会 地図」

日本北部の国境線が千島列島に2か所と、樺太中部、宗谷海峡の計4か所に表示してあるのはどうしてでしょうか。
 日本北部の国境線や領土の表示については、検定教科書は全て文部科学省より次のように指示されています。(1)歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島は日本領土として扱い、南樺太と残りの千島列島は未帰属地域とする(領土の色をつける場合は白色とする)、(2)国境線を択捉島と得撫島の間、占守島とカムチャツカ半島の間、樺太と北海道の間、樺太の北緯50度のところに入れる、などです。
 北方領土については、領土問題はヤルタ協定、ポツタム宣言、サンフランシスコ平和条約などの一連の国際協定によって“全て解決済み”としてきた旧ソ連との間で対立してきましたが、日本国としては以下のような経緯を踏まえて領土返還を主張してきました。
 まず、1854年(新暦では1855年)の「日露和親条約」(日魯通好条約)によって日本とロシアとの国家間の交流が開始されましたが、この条約では、“樺太島については国境を設けず混在の地とする” “千島列島については択捉島と得撫島の間を国境とする”とされました。
 そして、1875年、日本・ロシア間の「千島・樺太交換条約」で、日本はロシアから千島列島(条約には占守島から得撫島まで18の島々の名が列挙してある)を譲り受けるかわりに、樺太全島を放棄しました。
 その後、1905年、日露戦争終結時の「ポーツマス条約」で、樺太の北緯50度以南をロシアより譲り受け、この状態で第二次世界大戦に入っていきます。
 そして、戦後、1951年の「サンフランシスコ平和条約」で、日本は南樺太と千島列島を放棄しましたが、ソ連は、同条約は極東で新しく戦争を準備するものとして、調印を拒否しているため、それがどこに帰属するかは未決であり、日本政府としては、国後・択捉両島は日本国有の領土であって、サンフランシスコ平和条約で放棄した“千島列島”には含まれないとの見解を示しています(地理的範囲としての千島列島については不明としています)。
 このように、日本としては、北方領土問題は日ロ平和条約締結のための交渉のなかで解決されるものとして今日に至っています。
地図帳に表記する外国の地名の呼び名は、何を基準としているのでしょうか。
 そのよりどころは「検定基準」と「新地名表記の手引」です。
「検定基準」では、外国地名については次のように定められています。
・外国の国名の表記は、原則として外務省公表資料等信頼性の高い資料によること。
・外国の地名及び人名の表記については、慣用を尊重すること。

2 「新地名表記の手引」(以下「手引」)は310ページにおよびますので、概略をお知らせします。
ポイントは、
・地名はなるべく、その国なりその地域なりの呼び方によって書く。ただし慣用の熟しているものは、それに従って書く。
・現地での呼び方の基準として、それぞれの国における公用のほか国際的機関による統一表記を重視する。慣用についても、日本における慣用のほか、国際的慣用についても考慮する。
・片仮名書きの表記は、原則として、小学校、中学校、高等学校を通じて一定する。

 「手引」は初版が昭和53年に作成されましたが、その後文化庁が「外来語の表記」を示したこと、東欧・ソ連の変革などで地名自体が改変されたことを受けて改訂され、平成6年に新版がまとめられました。
 見直しにあたっては、帝国書院、二宮書店、教育出版、東京書籍といった各教科書会社のほか、文部省、マスコミ関係者、外務省、文化庁などが参画しました。

◆東京書籍の地図帳で書き改めた箇所
 例えばスカンジナビア半島がスカンディナビア半島に、イタリアのサルジニア島をサルデーニャ島、カタロニアをカタルーニャに書き改めています。これらはほんの一例で、高等学校レベルでは1,000以上になります。

◆ブ、ヴの使い分けについて
 「手引」では、書くうえでは使い分けが可能ですが、日本人が耳で聞き分け、発音するうえで使い分ける段階には達しているとはいえないため採用を見送っています。東京書籍の地図帳も同様です。また、マスコミも現在は用いていません。

なお、「手引」は株式会社ぎょうせいから市販されています。
エスキモーとイヌイットの記述について教えてください。
 「イヌイット」とはカナダ北部にすむ先住民族をさす呼び名として使われております。カナダでは先住民運動の盛りあがりもあって、「エスキモー」(生肉を食べる人の意)という呼び名は使用せず、「イヌイット」(人間の意)を公式の呼び名としております。アラスカでは「エスキモー」という呼び名が使われることもあります。
 またグリーンランドでは、現在はグリーンランド人を意味する「カラーリット」が民族名称として用いられつつあります。一時期「イヌイット」が「エスキモー」に代わる呼称であるとの誤解がなされたことがあったようです。

(参考文献:岸上伸啓「イヌイット-『極北の狩猟民』のいま」中公新書)
地図記号は、だれがどのように決めているのですか。
 地図記号は、世界的にみると千差万別です。国によって異なるケースも多いのですが、なかには似ているものもあります。国ごとに地域の特徴を表現した記号を用いています。日本では、国土交通省国土地理院で策定した記号に準じていることが多いといえます。国土地理院の地図記号は、(1)簡潔に表現、(2)そのものをイメージさせる、(3)他と区別がつくこと、を基本にしています。使う人々が想像しやすい形として、神社の(鳥居)、税務署の(そろばんの珠)などがあります。
 平成14年から図書館と博物館の記号が国土地理院発行2万5千分の1地形図に加わりました。初版の改訂となった浦和、大宮などから順次採用されています。また、平成18年には、風力発電所や老人ホームの記号も新設されました。東京書籍の地図帳でも用いています。

いろいろな記号
(国土地理院発行2万5千分の1地形図より)
なぜ地図は北を上にするのですか。
 北向きの地図が多いことは確かですが、必ずしも北向きの地図ばかりではありません。南半球のオーストラリアでは南を上にした地図が存在します。日本でも、古地図には北が上ではないものが多くあります。移動するときに進行方向を上に向けると理解しやすいということもあり、そのような場合には北を方位記号で補助しています。定説はありませんが、各国政府機関が発行する地図の大部分は、上方を北にしていることは確かです。

さまざまな方位記号
一般図とはどういう図なのですか。また主題図との違いは何ですか。
 標高や河川、海岸線、地名、交通路など、どれに重点をおくということでなく、多くの情報を描いた図を一般図と呼びます。英語では general map といいます。一般図には、土地の高さが分かる等高線が描かれています。国土地理院発行の地形図は、その代表です。表す内容は縮尺によって違ってきます。1万分の1くらいの縮尺になると、家屋を1軒ごとに表示することも可能です。
 それに対して、ある目的のために使う地図、たとえばラーメン屋をいっぱいのせた地図や鉄道の路線図など、あるテーマを表現した地図を主題図と呼びます。こちらは英語では thematic map、 topical map といいます。
 p.39-40、p.107-108などが一般図で、p.43-44、p.115-116などが主題図です。
日本の地名は何に基づいて表しているのですか。
 地名は、その地域の特徴を体現しています。地名にはその地域のさまざまな歴史や文化、自然が反映されています。このため、同じ山や川でも地域が違うと複数の呼称が存在することがあります。例えば、日本一長い河川である信濃川は、長野県側では千曲川と呼んでいます。
 東京書籍の地図帳では、検定基準に基づいて国土地理院発行の地形図に記載しているものを採用しています。都道府県や市町村などの行政地名は、総務省に届け出た呼称を採用しています。また、自然地名と行政地名とも、地名の語源や字源などを参考にしながら、ルビを付しています。例えば相模川の読み方は「さがみがわ」ですが、「が」は相と模の間に置いています。
標高はどのように測っているのですか。
 日本では、国土地理院が国土の骨格となる位置や標高などの測量をしています。測量地点は、山の山頂部分だけではなく、平野など多々ありますが、東京湾の潮の満ち引きの平均(平均海面)から測った高さが標高として表示されています。標高は一定ではありません。地殻変動や侵食、堆積により地形が変わり、標高が変わることがあります。また、新たな測量成果により標高が変わることもあります。
 東京書籍の地図帳では、国土地理院が発行する最新の地形図に記載された標高や、国立天文台編『理科年表』に記載された標高を採用しています。山の標高は、最高地点が測量されているとは限らないため、地形図から読み取って記載しているところもあります。

山の標高表示
日本の緯度、経度が変わったのですか。
 平成14年4月「測量法」の改正により、日本地図にある経緯度の表し方が、日本独自の方式から世界規準の方式に変わりました。新しい方式を世界測地系といいます。その結果、経緯度が今までより南東に約400m移動しました。
 東京書籍の地図帳は、世界測地系に対応しています。しかし、100万分の1の縮尺の地図では約0.4mmの違いで、見た目には変化がわからないほどです。国土地理院では、世界測地系に対応した各地の新しい経緯度を、インターネット上で公開しています。
http://www.gsi.go.jp/LAW/G2000-g2000faq-1.htm
東京都庁は新宿区にありますが、地図ではこの位置を「新宿」ではなく「東京」と表しているのはなぜですか。
 東京都の条例によれば、都庁の所在地は「東京都新宿区西新宿二丁目」と定められています。しかし、東京書籍の地図帳ではこの位置に「東京」と記載しています。 この背景には、東京23区の地方公共団体としての位置づけがあります。東京23区は、地方自治法では特別区と定められており、ほかの市町村とは別扱いされています。現実に消防などの権限はなく、税制でも固定資産税などは都税になっていたり、ほかの市町村と異なることが多く見られます。
 そうしたこともあってだと考えられますが、国土地理院発行の20万分の1地勢図でも、東京の23区をひとまとまりにして「東京」と記載することが、慣習になっています。
 さらに歴史的な経緯を振り返ると、23区はかつて存在した東京市に由来しているとも考えられます。