SHOHEI OHTANI_オンデマンド版

SHOHEI OHTANI_オンデマンド版
YEARS in LA DODGERS

J・P・ホーンストラ/著 田代学/監訳 丹羽 美佳子/協力

ISBN:978-4-487-81863-1
定価3,630円(本体3,300円+税10%)
発売年月日:2025年08月22日
ページ数:360
判型:46

解説:
2025年6月、二刀流復活!

強豪ドジャースへの移籍、結婚発表、元通訳の裏切り、史上初めての50-50、念願のワールドシリーズ制覇、そしてMVP……。
MLBとドジャースを知り尽くした米国人記者・ホーンストラと、全米野球記者協会理事を務めた初めてのアジア人・田代学が、この史上最高の野球選手・大谷翔平の伝説的一年を徹底検証する。
さらに、2025年シーズンの活躍も収録し、ロサンゼルス・ドジャース移籍後のShohei Ohtaniをつぶさに追体験。
圧巻の352ページ、骨太のドキュメントがこの夏、誕生!

INTRODUCTION より

2025年の大谷翔平

 2024年、悲願のワールドシリーズ制覇を果たし、優勝パレードも味わったドジャースの大谷翔平選手は、再び短いオフシーズンを過ごした。ワールドシリーズ第2戦で亜脱臼した左肩の手術を受け、リハビリに時間を費やした。12月28日には自身のインスタグラムで、妻の真美子さんが妊娠したことを報告。ベビー服やエコー写真などを添え、「家族に新しい仲間が加わるのが待ちきれない!」と綴っていた。
 2025年の新年早々には、ドジャースタジアムからみて北東と北側の広範囲で大規模な山火事が発生した。地元のニュースでは毎日のように「今度はここが火に包まれた」と報道され、最終的には5万エイカー(約202平方キロメートル)以上の範囲で被害があり30人の死亡、1万8000戸以上の建物が焼失した。この地域には高級住宅地も含まれ、ハリウッドスターや現役のプロスポーツ選手らも被害に遭った。
 山火事には後日談がある。2月1日にドジャースタジアムで開催された恒例のファンフェスト(ファン感謝祭)には多くのファンが集まった。球場内は改修中だったため、主なイベントは広大な駐車場で行われた。用意されたプログラムの中には、臨時に設置されたステージ上に選手が登場して、司会者やドジャースOBらと質疑応答をするコーナーがあった。
 大谷は打順同様にトップで登場。ファンはいきなりの登場に大興奮だったが、そこで大谷は驚きの告白をした。オフの間、日本に一時帰国したかという質問にこう答えたのだ。
「戻れれば良かったんですけど、ちょっと火災とかもあって、僕も避難しなきゃいけなかったので、家の状況とかも心配でしたし、ちょっと残って妻と一緒に違うところに避難していました」
 ステージ登壇後、報道陣との囲み取材ではさらに詳細を明かした。
「夜中に避難しました。(火事が)うちからも見えて、忘れ物をして1回戻ったときに結構もう後ろのほうが燃えてたんで、もううちも危ないかなとは思ってたんですけど、それよりも妻とデコピンと一緒にまず避難することのほうが先でした」。しかも、インフルエンザで寝込んでいて練習はできていなかったという。
 ファンフェストの前、1月22日には佐々木朗希投手のドジャース入団が発表された。岩手の大船渡高校時代から日本プロ野球だけではなく、大リーグの多くのスカウトからも注目されていた大型右腕は2024年オフに千葉ロッテマリーンズから大リーグへの移籍を決意。当初20球団が獲得に興味を示し、ヤンキースやパドレスなど8球団に絞られた後、最終的にドジャースが選ばれた。
 大谷は、山本由伸投手がポスティングを行使した際にも主力の一人として面談に同席してドジャース入りを勧誘した経緯があるが、同じ岩手出身の佐々木を巡る争奪戦でもムーキー・ベッツ内野手らとともに面談や球団が用意した夕食会に参加していたようだ。運命の日、佐々木の入団を代理人がドジャース側に伝える前に、大谷はアンドリュー・フリードマン編成本部長ら球団トップに「We got him.」(獲得できた)と短いテキストメッセージを送ったという。
 これで2025年のドジャースには3人の日本選手が所属することになった。

春季キャンプ

 前年の韓国に続き、2025年シーズンもドジャースはアジアで開幕を迎えた。3月18、19日のカブス戦(東京ドーム)に向けて、他球団よりも早い2月11日にバッテリー組(投手と捕手)がキャンプイン。大谷もドジャースの春季キャンプ地であるアリゾナ州グレンデールに元気な姿を見せた。
 クラブハウスのロッカーは大谷、山本、佐々木が並び、3人の笑顔の写真が球団から公開された。メジャー8年目、そしてドジャース2年目の大谷は、チームの雰囲気にも慣れ、MVP3度受賞の貫禄も十分。昨シーズンよりもリラックスした表情を多く見せた。
 キャンプ中は大谷とロバーツ監督の間で、壮絶な(?)イタズラ合戦が繰り広げられた。発端は前年、大谷がエンゼルスからドジャースへ移籍した際にジョー・ケリー投手から背番号17を譲り受け、そのお礼としてアシュリー夫人にポルシェを贈ったことだった。
 母親が日本人で沖縄生まれのロバーツ監督は、自身が保持する日本選手の球団最多本塁打記録に並ばれる直前、あるプレゼントを大谷から受け取った。そして2024年5月、大谷がその記録を破った試合後の囲み取材に、ポルシェのミニカーを手に乱入した。
「これがショウヘイからのプレゼントだ。これなら私のデスクにピッタリだよ!」
 翌2025年2月中旬、春季キャンプ中に先に仕掛けたのは大谷で、ロバーツ監督の駐車場に停めてあった車を子ども用のミニポルシェにすり替えた。駐車場であたふたする監督の動画が、球団の公式SNSに投稿された。
「何が起きているのかと思ったよ。これはショウヘイの仕業か? 次は君の番だ。大変なことになるぞ!」と笑いながらリベンジを宣言した。
 こうして迎えた2月28日、大谷は古巣エンゼルスとのオープン戦で高校の先輩でもある菊池雄星投手から2025年最初の本塁打を放った。試合終了後、駐車場で愛車のドアを開けると、車内からドーッと色とりどりのゴムボールやビーチボールが転がり出てきた。しかも各ボールには、監督が例のミニポルシェにまたがりピースサインをしている写真がプリントされており、大谷も苦笑いだった。 のちに、そのたくさんのボールで嬉しそうに遊んでいるデコピンの動画を自身のインスタグラムに投稿した。
 開幕前の話題はワールドシリーズ連覇や、日本でフルシーズン投げたことがない佐々木の成績などあるが、何といっても最大のポイントは大谷の投手復帰の時期、いつ二刀流が復活するか、だろう。 大谷本人は、こう語っていた。
「今年もリハビリから入って、実戦での打席数やライブBP(実戦形式の打撃練習)の回数は限られると思うので、その1回をもちろん大事にしたいです。万全の状態で入って最初から最後まで良い量をこなせるわけではないので、本当に1回1回の質が大事になってくるのかなと思います」
「打者大谷」は昨季、史上唯一の「50-50」を達成など存分に力を見せつけた。2023年シーズン以来となる「投手大谷」に周囲の目が注がれていた。その第1歩ともいえる2月15日のブルペン入りには約50人の球団関係者と100人近い報道陣が集まった。2024年9月21日以来147日ぶりのブルペンで約300人のファンが見守るなか、直球とツーシームを計14球投げた。最速は94マイル(約151キロ)だった。
「いいブルペンだった。投げ方もスムーズだったし、腕の振り方も良かった」とロバーツ監督。オープン戦での打者・大谷は打率 .333(18打数6安打)と順調な仕上がりを見せ、3月13日にチームメートとともに日本に到着した。機内で快適に過ごすために、大谷は選手、スタッフら計60人以上に高級ヘッドホンをプレゼントしたという。16日には大谷が主導し、和食界の有名シェフを招いて開幕前の決起集会ともいえる夕食会を開いた。ロバーツ監督は「みんな歴代最高のショーディナーだったと言っていた」と証言した。

(中略)

 2025年シーズンを順調にスタートした大谷だが、前年はある意味で逆境あるいは波乱万丈ともいえる状況下にあった。結果的に大谷の2024年の軌跡からは、MLB史上初の「50-50」達成、ナ・リーグ優勝、ワールドシリーズ制覇、DHとして初のMVPまで、一野球選手が考えうる最高の到達点であり、真美子さんとの結婚を含めてスタープレーヤーの光り輝く足跡が見えてくる。しかし一方で、その道のりは開幕直後の事件を端緒に、打撃不振や怪我、フィールド外の出来事なども加わった険しいものでもあった。つまり、Shohei Ohtani は度重なる困難を乗り越えて、「偉大な一年」を築き上げたことになる。次章(第1章)からは、伝説的なこの「ドジャース入団、奇跡の1年目」、2024年の大谷翔平を、ドジャースを長年取材しているロサンゼルス在住のJ・P・ホーンストラ記者の手による週ごとのリポートとして詳細に振り返っていく―。
(丹羽美佳子)

CHAPTER 5 史上初の「50-50」への道 (8月19-25日) より

 2024年シーズンが残り約1カ月となる中、野球専門誌『ベースボール・アメリカ』は球団幹部や監督、スカウトらによる年次投票の結果を発表した。大谷はナ・リーグで、最優秀打者、最強打者、そして最もエキサイティングな選手の3部門で1位にランクされた。
 大谷が打者に専念してどれだけ活躍できるかという疑問には決着がついた。彼はナ・リーグ最高の打者であり、両リーグを通じて同等の選手と呼べるのはおそらくニューヨーク・ヤンキースの強打者、アーロン・ジャッジ外野手だけだろう。大谷は、ナ・リーグでは1937年のジョー・メドウィック(当時カージナルス)以来となる三冠王の可能性さえあった。
 ナ・リーグでもア・リーグでも、1シーズンで50本塁打と50盗塁を達成した選手は過去にいなかった。だが、ドジャースが8月19日にロサンゼルスに戻ってシアトル・マリナーズと対戦したとき、大谷はシーズン51本塁打と48盗塁を達成できるペースになっていた。直近の不振にもかかわらず、ドジャースはナ・リーグ西地区で依然として首位に立っており、背番号17が依然として驚異的な存在としてチームを牽引していた。
「大谷は史上初の50-50の選手になるかもしれない」と、現役時代は主にレッズで活躍した一塁手でオールスターに3度選出された、元ヤンキース打撃コーチのショーン・ケイシー氏は語った。
「今は少しスランプに陥っているものの、1年を通して圧倒的な成績を残してきた。最近は打率 .290、OPS .990まで落ち込んでいるが、これから絶好調になる予感がする。彼自身も『自分のバッティングフォームが完璧だとは思えない、だから試行錯誤している』と言っていた。私にも経験があるが、ああいう選手は試行錯誤しているなかで、突然ケージの中で一振りすると『これだ!』という感触を得るものだ。そして『今夜の試合が待ちきれない!』となる。そしてとんでもない絶好調に突入する。ショウヘイにはまたそういう力が出てくると思う。だから私は彼が50-50に到達できると本当に考えているのだ」
 マリナーズ3連戦の初戦が行われた19日、大谷は初回に相手の先発右腕、ブライアン・ウー投手の速球に振り遅れながらも三遊間を抜いて出塁した。直後に二盗を試みたが、ウーが一塁へタイミングよく牽制したため、ピックオフで一、二塁間に挟まれてしまった。それでも一塁へ戻り、マリナーズ一塁手のジャスティン・ターナー内野手のタッチの下を滑り抜けてセーフ。盗塁失敗とならず、14回連続成功中の盗塁記録を維持した。
 試合は3投手による完封リレーで3-0の勝利。マリナーズ打線を2安打2四球に抑えた。翌20日は3-3で迎えた8回にジェーソン・ヘイワード外野手が決勝3ランを放ち、6-3で勝利した。
 ヘイワードの直後に打席に立った大谷は、マリナーズ5番手のオースティン・ボス投手(2025年シーズンは千葉ロッテ所属)から右翼フェンスを直撃する打球速度116マイル(約187キロ)の痛烈なライナーを放った。単打にとどまったが、ここまでの「試行錯誤」が功を奏している兆し。先のケイシー氏がほのめかした「一振り」は、打撃ケージの中ではなく、20日のこの打席でのスイングだったかもしれない。一塁に出塁した後には、シーズン38個目の盗塁を決めた。
 翌21日は、ナ・リーグ西地区首位の争いのターニングポイントとなった。ドジャースがマリナーズを8-4で下して4連勝したのに対し、2位のサンディエゴ・パドレスは本拠地でミネソタ・ツインズに4-11で敗戦。差が再び4ゲームに広がった。大谷は4打数1安打2得点。右前打で出塁した5 回に二盗を決め、シーズン40盗塁にリーチをかけた。
 この試合でマックス・マンシー内野手とトミー・エドマン外野手が負傷者リストから復帰して、ドジャース打線は完全復活した。屈指の投手陣を誇るマリナーズとの3連戦で計17得点。大谷は計12打数4安打、2四球、2盗塁だった。もしも大谷が本来の調子を取り戻し、他の野手陣が健康状態を保つことができれば、まだ万全ではないドジャース投手陣でもパドレスから逃げ切れるように見えた。
 23日からはタンパベイ・レイズとドジャースタジアムで3連戦。大谷はまず足で本拠地を沸かせた。4回に遊撃内野安打で出塁すると二盗を決めてシーズン40盗塁に到達。最高の舞台は3-3の同点で迎えた9回2死満塁で巡ってきた。
 マウンド上は左腕のコリン・ポシェ投手。過去の対戦では2打数無安打、2三振だった。さらに大谷は日米を通じてチームの最終打席での決勝本塁打、つまりサヨナラアーチを放ったことがなかった。
 だが、そんなデータは杞憂だった。ポシェの初球のスライダーを捉え右中間へ。打球はジャンプした中堅手のグラブをかすめるようにフェンスを越え、ファンが差し出したグラブに当たってグラウンドに転がった。
「ヒットでも四球でも良かった。打席では何も考えずに、本当に勝ちたいな、1本打ちたいなという(心境だった)。審判が(手を)挙げてくれて(本塁打と)分かりました。興奮というより、ホッとした感じが強かったです」と大谷。打った直後は確信が持てず、バットを持ったままゆっくりと走り出していた。三塁を回るとヘルメットを放り投げ、舌を出すおどけた表情で本塁付近にできたチームメートの歓喜の輪の中へ飛び込んだ。大量の水をかけられて、劇的な40号サヨナラ満塁弾を祝福された。
 史上6人目となるシーズン40本塁打と40盗塁を、史上初めて同日に達成。出場126試合目での「40-40クラブ」入りで、2006年のアルフォンソ・ソリアーノ外野手(当時ナショナルズ)がマークした147試合を大幅に更新した。
 ロバーツ監督はそれを「おとぎ話のような」パフォーマンスと呼んだ。「ショウヘイはいつ見ても我々を驚かせてくれる」
 試合終了後、ドジャースのクラブハウスに続く廊下で記者に囲まれた大谷は、フィールド上で見せた自制心を捨てて、「とてもうれしいです。何より最後に打てたことがドジャースに来て一番の思い出になりました」と明かした。
「(本塁打が)何本ぐらいなのかは知っていましたが、それ( 40-40)自体が目的ではなく、勝つための手段としてやりたい。そういった記録が作れたのは大きなことかなと思います」
「サヨナラ(本塁打)が初めてとは知らなかった。自分の中では打っているものだと思っていました」
大谷はワールドシリーズ制覇という大きな目標の重要性についても熱く語った。そのためにもレイズに勝つことが大切だった。2位のパドレスも負けていなかったからだ。大谷のサヨナラ満塁弾が出る数分前に本拠地のサンディエゴでメッツを下していた。
 ドジャースが地区優勝すれば、直近12シーズンで11度目。コロナ禍で短縮されたシーズンだったとはいえ2020年にはワールドシリーズ制覇も成し遂げている。大谷にとっては初めての経験だったとしても、ファンはドジャースが高い期待に応えるのを見慣れていた。
 だが個人レベルで、大谷は「50本塁打、50盗塁」というMLB史上初の偉業に挑もうとしていた。50本塁打すれば、球団新記録。ちなみに歴代最多記録の通算762本塁打を誇るバリー・ボンズ(ジャイアンツなど)でさえ、50発以上はシーズン最多記録の73本をマークした2001年の1度しかなかった。
 過去40年間でシーズン50盗塁を達成したドジャースの選手は3人だけ。ディー・ゴードン、フアン・ピエール、エリク・ヤング・シニアで、50盗塁をマークしたシーズンにこの3人合計での本塁打数は4本にとどまっている。大谷のパワーとスピードの組み合わせは単に印象的だっただけではない。高いパフォーマンスを見慣れたロサンゼルスのファンにとっても前例のないことだった。

「40-40」を達成

 大谷は、昔からスイングのパワーはあった。2021年には自己最多の46本塁打を記録し、自身初のア・リーグMVPを受賞。2023年には44本塁打でア・リーグトップとなり、再びMVPを受賞した。しかし、プレーオフ出場を争うチームにいて、相性のいい本拠地で50本塁打のシーズンを過ごすのは、これまでの大谷にはない姿だった。シーズン50盗塁も同じで、これまでの自己最多記録である26盗塁(2021年)を一気に倍増させる勢いだった。
「あれだけの力を発揮し、ダイナミックな選手になれたのは、彼がとても丹念に足のケアを行ってきたからだ」とロバーツ監督。「彼は対戦相手の投手についてよく研究し、飛躍的に向上した。スタートが良くなり、盗塁もはるかにうまくなった。今シーズン序盤や、我々が彼と対戦した年でさえ、彼は盗塁には消極的で成功率も高くなかったが、今では成功率の高い盗塁のエリートだ」
 翌24日、大谷は初めてマウンドから投球することを許可された。ブルペンにキャッチャーを座らせて投球するためにウオーミングアップを始めると、ファンが近くに集まって立ち見をし、スマートフォンのカメラを向けた。ドジャースタジアムの警備員で、本拠地でも敵地でも大谷の警護を最も頻繁に担当しているアル・ガルシア氏は、数人に手を振って退散させた。前面に「#MaxStrong」、背中にフリーマンの名前と背番号5が入った青いTシャツを着た大谷は、セットポジションから軽く10球を投げてみせた。
 その24日の午後、レイズとの2戦目で2試合連続の41号2ランを放った。1点を追う5回1死一塁で先発右腕のタジ・ブラッドリー投手が投じた外角低めのスプリットを右手だけで振り払うように右翼ポール際へ運んだ。
「低めの難しいボールだった。体の反応で打ったのだろう。軸足に体重が残っていた、本当に難度の高い打撃だった」とロバーツ監督も称賛。飛距離338フィート(約103メートル)はメジャー移籍後、自己最短となった(過去最短はエンゼルス時代の2020年8月6日のエンゼルス戦で放った351フィート=約107メートル)。
 4万8488人の観客に加えて、さらに多くの人がドジャース戦を中継する「スポーツネットLA」でこの試合を見ていたが、ちょうどこの打席はMLBネットワークによって米国の他の地域の視聴者にも届けられていた。土曜午後のスタジオ番組を中断して大谷の5回の打席に切り替えていた。
「大谷は、今生きている選手の中で最高です」と、MLBネットワークの司会者グレッグ・アムシンガー氏は、映像が切り替わる数秒前に語った。
「どんどん反論を言ってください。私は気にしません。彼はすでにMVPを2回獲得しています。3回目も受賞するでしょう。彼は50-50の選手になるでしょう。こんな選手は初めてです。そして投手に復帰したら、サイ・ヤング賞を獲得するでしょう……。栄光の40-40を達成した夜の、その翌日の模様をお伝えします」
 この数秒後、大谷の一発が出たのだ。MLBネットワークがスタジオ番組を生中継に切り替えたタイミングでは、もちろん稀なことだ。「今、最も偉大な選手がライブで2ランを打った」とアムシンガー氏も興奮気味に伝えていた。
 前週に短いスランプから抜け出したばかりだった大谷にこのような最高の言葉が次々と送られていた。8月16日に5打数無安打に終わった後、大谷は7試合連続安打を放ち、レイズとの2試合で6打点。この間に、大谷は史上最速で「40-40」を達成したのだ。
 ロバーツ監督がこう語る。
「大谷はこのスポーツで史上最高の選手になりたいと思っているだろう。実際にそうなり始めているし、そう主張する権利も間違いなくある」

CONCLUSION 「あとがきに代えて」より 本書監修・訳者 田代学

 ドジャースの大谷翔平選手は、2024年シーズンに数々の偉業を成し遂げた。まるで夢物語のような異次元での活躍ぶり。ほんの数年前まで、野球談議の中で口にすれば、「そんなの無理」とか「マンガの世界の話」と一笑に付されていたようなことを、次々と実現してしまった。
 歴史に残る足跡を振り返り、検証する企画が持ち上がったとき、思い出したのが2003年シーズンオフに米記者3人との共著で出版した『松井秀喜スピリット』(扶桑社)だった。
 私はイチロー選手がマリナーズ入りした2001年に渡米。『サンケイスポーツ』の大リーグ担当記者として米国に13年駐在したのだが、2003年シーズンはヤンキース1年目の松井秀喜選手を取材した。注目度は高く、連日のように1面で報道。グラウンド外のエピソードを日記のようにリポートする欄や伝統球団の歴史を紹介する連載に加えて、アメリカ各紙の記者にウイークリーでコラムを寄稿してもらった。翻訳をしながら気づいたのは、同じ現場にいながらも視点が異なることだった。
 マスメディアは、大衆に向けて情報を伝達する媒体。裏を返せば、大衆の関心がマスメディアの関心であり、記者の日米の差は、そのまま読者や視聴者の違いを表しているともいえる。その根底にあるのは、今では広く知られるようになった野球とベースボールの相違点だった。
 松井選手の1年目は、多くの日本メディアが一挙手一投足を報じていた。本にするなら、別の角度からまとめた方が面白いと思い、ヤンキースの番記者3人に声をかけた。シーズンを1カ月ごとに3等分して執筆してもらい、入団会見からワールドシリーズ進出までを振り返ってもらった。
 2024年シーズンの大谷選手にも、同じアプローチができないだろうか。日本ではあらゆるメディアが連日報じていたし、いわゆる「大谷本」も多く出版されている。ロサンゼルス在住のサンケイスポーツ・丹羽美佳子通信員の推薦もあり、本書をオファーしたのがフリーライターとしてドジャースを取材しているJ・P・ホーンストラ記者だった。フリーのスポーツ記者として、カリフォルニア州内で発行されている『ロサンゼルス・デイリー・ニューズ』や『オレンジ・カウンティ・レジスター』、『サンノゼ・マーキュリー・ニューズ』などで記事を執筆している。
 ホーンストラ記者はフルタイムで遠征先までドジャースを追いかける、いわゆる番記者ではない。ロサンゼルス郊外の自宅で試合をテレビやネットで観戦している日もある。そうして得た実況アナウンサーや解説者の大谷に対するコメントや反応、スポーツ番組での報道や議論などの情報も、本書の中に収められている。
 グラウンド内での情報は、すでにさまざまなメディアで報じられているので、むしろこちらを多くしてもらった。
 翻訳・監修をして改めて感心したのは、大谷選手の強じんな精神力だ。エンゼルスから10年総額7億ドル(約1025億円)でドジャースへ移籍。これだけの巨額契約で人気と伝統を誇る球団に移るだけでも大きな重圧がかかるのに、開幕直後には家族以外では最も信頼していたであろう人物に裏切られ、大スキャンダルに見舞われた。大リーグ移籍以来、通訳や練習パートナーにとどまらず、銀行口座などまで任せられる個人秘書のような存在であり、何でも相談できる友人でもあった人物が突然いなくなった。その精神的なダメージや喪失感、1年目のチームでの孤立感は相当なものだったはずだ。
 さらに違法賭博に関する捜査への協力を求められ、大谷選手も関与しているのではないかと疑惑の目を向けるメディアやファンもいた。特に米メディアの追及は厳しく、辛らつなコメントをするピート・ローズ氏らのようなOBもいた。日本ではなく、異国の地で対応する負担の重さは筆舌に尽くし難い。当然、日々のルーティンワークや練習にも影響があっただろう。
 そんな逆境の中でも、大谷選手は「史上初」の記録を次々と樹立していく。本書に綴られた週ごとのリポートを読み進めると、違法賭博スキャンダルの真相が解明されるにつれて強い逆風が弱まり、大谷選手の活躍によってそれが少しずつ追い風に変わり、最後には称賛の嵐になる様子がよく分かる。その変化は、爽快でさえある。  不幸中の幸いといえるのが、首脳陣やチームメートとの関係だろう。コミュニケーションを図る上では「壁」になることもあった通訳がいなくなった(水原一平氏からウィル・アイアトン氏に交代した)ことで、話しかけやすい環境になったとロバーツ監督も証言している。周囲と打ち解けられたことも、大谷選手がさまざまな重圧やストレスを跳ね返すことができた要因に違いない。

(中略)

 本書を監修・翻訳する上では、サンケイスポーツが2024年に発行した臨時増刊号『MLB2024 大谷世界一』を参考にした。ホーンストラ記者を推薦してくれたロサンゼルス在住のサンケイスポーツ通信員、丹羽美佳子氏はドジャースとエンゼルスを20年以上も現地で取材。内容のチェックだけでなく、2024年のポストシーズンや2025年シーズンの原稿も書いてもらった。そういう意味では、本書は二人の合作ともいえる。

著者情報

J・P・ホーンストラ
スポーツ記者。1981年生まれ。2003年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)を卒業。2003年から、『ロサンゼルス・デイリー・ニューズ』、『オレンジ・カウンティ・レジスター』、『サンノゼ・マーキュリー・ニューズ』など、カリフォルニアの日刊各紙でスポーツ記事を執筆している。2016年には、APSEの速報ニュース部門で受賞。現在、妻、子どもたち、そして猫とともにロサンゼルスに在住し、『ニューズウィーク』や『スポーツ・イラストレイテッド』などにも記事を寄せている。著書に、『The 50 Greatest Dodgers Games of All-Time』(Riverdale Avenue Books, 2015)がある。

著者情報

田代学(たしろまなぶ)
サンケイスポーツ営業局長。1967年、東京都生まれ。國學院大、米オハイオ大卒。1991年、産業経済新聞社に入社。『サンケイスポーツ』でプロ野球のヤクルトと巨人、98年の長野、2000年のシドニー両五輪担当を経て、01年から13年まで米国駐在の大リーグ担当キャップ。日本の記者では初めて全米野球記者協会(BBWAA)の理事や、ワールドシリーズの公式記録員を務めた。

著者情報

丹羽美佳子(にわみかこ)