
日本エキゾチシズム文学史
ISBN:978-4-487-81726-9
定価2,750円(本体2,500円+税10%)
発売年月日:2025年05月26日
ページ数:392
判型:A5
日本から外国へのまなざし、外国から日本へのまなざしを、歴史と地域を横断して幅広く解き明かす10章。先人たちや現在の日本人が、古来外国をどのように見て、感じてきたかを、その表現から解き明かす一冊。
日本文学史の中のエキゾチシズムという主題を、古代から現代の漫画までバリエーションに富んだテーマで展開している。
例えば、平安貴族が「檳榔」に感じた異国への幻視から、芥川文学における異国の身体観、中島敦の描く南国、そして現代については漫画『鬼灯の冷徹』の地獄観などが取り上げられている。執筆陣も、様々な国からの研究者が多くを占めている。また、留学生たちから見た現代日本のレポートは、新鮮な視点を我々に与えてくれるだろう。
エキゾチシズム研究において新たな論点を加える一冊になるであろう。
巻頭のご挨拶
森戸国際高等教育学院の学術テキストブックシリーズ第1巻となる『日本エキゾチシズム文学史』を手に取っていただきありがとうございます。本書は「日本の中のエキゾチシズム」をテーマにした学術論集であり、日本語や日本文化を学ぶ留学生のために編まれたテキストブックでもあります。
本書は2021年のオンライン連続公開講座が基になっています。コロナ禍にあって国際移動が止まり国際交流の極めて困難な状況にあって、自分たちに何ができるかを問うて生まれた公開講座でした。その誕生の経緯は荒見泰史教授の「はじめに」にまとめられております。
本書のキーワードは、「異国(そと)」つまり外部者、外部よりもたらされた物質との遭遇、融合、そしてそこへの想いです。日本の中のエキゾチシズムを文化の窓を通して振り返る試みは、「日本」がいかに海外との交渉を通じて歴史的に作られてきたものであるのかを再発見する旅となりました。コロナ禍がもたらした不条理にも思える状況下にあって、帰国の叶わぬ留学生や日本留学の再開を待つ海外在住者とともに学んだ経験は、私たち教員にとっても大変貴重なものでした。
森戸国際高等教育学院は何をする機関ですか、と問われることがありますので簡単に紹介をさせてください。
本学院は留学生に日本語・日本文化を教える機関として広島大学に設置されたセンターです。広島大学初代学長である森戸辰男先生のお名前からその名称をいただいています。本学院は、東京大学、京都大学とともに日本に初めて設置された留学生センターとして1990(平成2)年に始まりました。その後、「留学生センター」から「国際センター」へ、さらに「森戸国際高等教育学院」へと名称を変更しました。現在は、毎年2000人近くの外国人留学生を迎える広島大学の中で、留学生を対象とした日本語・日本文化教育を担い、研究のための予備教育を提供する研究教育機関として運営されています。国費留学生ばかりではなく、交換留学や短期留学プログラムを通して世界各国から訪れる留学生の日本語教育、日本文化教育、そして独立行政法人国際協力機構(JICA)とともにシリアやミャンマーの難民を日本の高等教育機関へと橋渡しするための教育事業なども行っています。
最後になりますが、コロナ禍の始まってまもない時期にこの最初の企画を支えてくれた本学の社会連携室の方々、本書の刊行に向けて努力してこられた先生方、そして刊行を最後まで支えてくださった東京書籍の方々に感謝申し上げます。
2024年3月
広島大学森戸国際高等教育学院長 丸山 恭司
はじめに─日本の中のエキゾチシズム
一 本書の主意
2019年末に中国の一都市で発見されたコロナウイルスは、その後世界各地で猛威を振るい、多くの先進国にそれまで久しく忘れていた病原菌の恐怖と、人類の非力さを思い出させることになった。それまで海外渡航ブーム、観光立国などということばに沸いた日本も、国境のほとんどを長く閉鎖する事態となり、経済の大きな部分を担ってきた海外との取引、優秀な人材を生み出してきた海外留学システムなどもそれまでとは違った形をとらざるを得なくなり、社会的な大きな痛みを伴いながら新たな経済的手法、教育的手法を模索する活動が急ピッチで進められることになった。
我々広島大学森戸国際高等教育学院は、広島大学の留学生教育を担う組織としてコロナ禍前から日本のスーパーグローバル大学として留学生2000人の受け入れと1100人の外国への派遣業務を実現すべく業務を行ってきたが、そうした学生交流活動もこうした事態の中で極めて大きな衝撃を受けた。当時、運よく入国できた学生に対する通常の教育とともに、出国できない学生、入国できない学生へのインターネット回線を使ったいわゆるオンライン教育とサポートの提供、そしてその研究を行うことになった。
そうしたオンライン教育と共同研究の模索をしている中で、研究の社会還元も含めて森戸国際高等教育学院のメンバーで何かできないかということになり、2021年度のオンラインによる連続公開講座を提案することになった。このような時代に、我々が何を考え、何を社会に説いていくのがよいか。そのようなテーマで若い研究者を中心に議論した結果、でき上がったタイトルが「日本の中のエキゾチシズム」というテーマだったのである。
コロナ禍の始まりから数年の間、我々は以前のように自由に海外に行くことは容易ではなくなることが予想された。また、海外から外国人を受け入れることも容易ではないだろう、と。そうした中で、外国との交流と、外国への憧憬、そしてその裏返しにある外国への畏怖といった感情について、これまで我々の先人が古来外国をどのように見て、感じ、思考し、受け入れ、そしてそれを表現してきたか、このような機会にちょっと立ち止まって考えてみてはどうか、そのような提案と思っていただいてよいかと思う。
そのような次第で、連続公開講座のキーワードは「エキゾチシズム」、「エキゾチック」と決まった。これまで自分の研究にまい進してきた日本文学、外国文学、外国史と様々な研究領域の研究者が、ちょっと足を止めて、先人の外国を見てきた目と感覚についてそれぞれの領域から紹介するのがこの講座の主眼であった。当時、聴講される方々も、自由に海外に渡航できない、自由に経済活動ができない正に苦しいさなかにあったと思われたが、まずはちょっと足を止めて、我々の先人たちが遥か遠く彼方のものとして触れてきた「エキゾチシズム」について、思いを馳せていただいてはいかがと考えたのであった。
本書はその時の講座で議論された内容に、後日、同じ議論を続けた中で集まった研究者の原稿を加え、さらにコロナ禍の中、日本で苦労して勉強を続けた広島大学留学生の原稿をコラムとして掲載している。エキゾチシズムに浸る日本人と対照的に、外国人がどのように日本を見ているか、という点を我々のまさに足元から見てみようという趣向である。
以下に本書の構成について紹介しておこうと思う。
本書は、以下の全3部計10章の論稿から構成される。
第一部 奈良・平安から江戸時代まで
陳斐寧「日本に渡ってきた「檳榔」─奈良・平安貴族の異国への幻視」は、日本の奈良・平安貴族の耳にすでに馴染みのあった本来は南国植物の「檳榔」という名称を中心に議論を進め、日本に現生する「蒲葵」を強いて「檳榔」と異国を想起させる名に変え、「蒲葵」を材料として使用しながらも「檳榔扇」「檳榔毛車」のような名称を好み、結果として「蒲葵」と「檳榔」が混用されるようになったことを論じつつ、奈良・平安貴族の異国への憧れを説いている。
李莘梓「『今鏡』における異国情緒─唐物・中国風習・中国故事を中心に」は、平安の終わり頃に書かれたとされる『今鏡』を通じて、「唐物」、中国の風習、中国故事との関係という点から、平安貴族の生活から見た異国情緒を論じている。具体的には、「唐物」では「唐綾」「唐絹」のほか「龍舟鷁首」という極楽を想起させる龍舟が平安貴族に好まれたことを論じ、中国の風習では高齢の貴族が参加する「尚歯会」と呼ばれる詩会や「三月三日の風習」、中国故事との関係では、『今鏡』に見られる中国由来の説話について分析、紹介している。
松山由布子「行疫神の来訪伝承と地域文化─『備後国風土記』逸文の在地における伝承的展開」は、コロナ禍とも重なるもので、「行疫神の来訪」とそのイメージについて、特に備後国(現在の広島県備後地方)の在地伝承を中心に論じる。この地は来訪する神を歓待することによって病を退ける「蘇民将来説話」の伝承地の一つであり、この行疫神の伝承から地域文化の特徴を明らかにしようとするものである。ここで注目されるのは、行疫神が「旅の途上」にあり、「来訪」する「一時的に集落に立ち寄る」存在と考えられている点で、流行病という一過性の災厄が「行疫神の来訪」という神のイメージを作り出していると考えられていることであるとする。
第二部 明治・大正・昭和時代
フェレイロ・ダマソ「晩年の芥川文学におけるエキゾチックな身体─「橙色のタヒチの女」と「不可思議なギリシャ」を中心に」は、芥川龍之介の作品に見られる「身体表象」を中心として、西欧で論じられてきた「心身論」の日本への影響、特に文学における「身体表象」の江戸時代から明治・大正期にかけての変化について議論を展開する。特に晩年の芥川文学におけるエキゾチックな身体について、文学評論『文芸的な』のうちの「30 野生の呼び声」と「31 西洋の呼び声」を取り上げ、「官能」をキーワードに分析を進める。
李麗「児童文芸雑誌『赤い鳥』の口絵に描かれた〈中国〉─「赤い鳥画集」の仙人を例として」は、大正時代から昭和初期児童文学雑誌『赤い鳥』に「赤い鳥画集」として掲載された口絵に描写される中国の仙人を分析し、そこに見られる中国のイメージを考察する。そこから、口絵に登場する仙人のイメージが肯定的なものから否定的へと変化する様子が見られることを論じている。
柳瀬善治「雑誌『台湾愛国婦人』における演芸速記について─講談『愛国婦人』における「新選組」「幕長戦争」表象を中心に」は、講談速記本と称される近代以降の口承文芸の口述筆記本を取り上げ、日本植民地時代の台湾における植民地政策のプロパガンダとしての機能が論じられる。講談速記本の体裁を取りつつも、複数の底本を切り張りして物語を展開させ、そこに架空の講談師の弁を借りてある種の主張を織り込むことがある。ここでは『台湾愛国婦人』に掲載された未完の講談「愛国婦人」を取り上げ、講談「女浪人」との比較の中で、そのプロパガンダ的方向性への創作部分があることを論じている。
風岡祐貴「中島敦の描く「南洋群島」─『寂しい島』を一例に」は、中島敦が一九四二年に発表した『寂しい島』の分析を通じて、中島敦が抱いた異国への憧憬、南洋への憧憬と、当時の日本社会について論じる。『寂しい島』には理想の地たる南洋への憧憬とともに、間もなく訪れると考えられていた戦争への不安が描き出されており、個人の理想や憧憬などを簡単に踏みつけてしまう社会の問題を巧みに投影しているという点について、筆者は多くの資料分析とともに主として論じている。
第三部 平成・令和時代
小宮山道夫「文化形成とエキゾチシズム─異国文物との接触・受容・忘却」は、日本における教育の革新と外来の情報、外国への憧憬を重ね合わせて論じようとする試みである。日本は四方を海に囲まれているという地域的特徴から、古来外来の情報や文物は海を越えてもたらされてきた。古くは朝鮮半島、中国、近世前後からはこれにポルトガル、オランダをはじめとするヨーロッパの情報が加わり、さらに近代にいたって欧米の情報が大きく伝えられるようになり、日本はその都度大きなインパクトを受けてきた。教育もその影響を受けて、そのたびに革新されてきたとするのが筆者の視点であり、教育、文化の革新を通じて海外への憧憬を映し出そうという試みである。
荒見泰史「『鬼灯の冷徹』に映される地獄観」は、インド由来でありかつ中国文化と融合しつつ東アジア文化圏各地へ浸透し、それぞれの地域で独自の信仰へと発展する地獄観につき、江口夏美『鬼灯の冷徹』原作の漫画およびアニメーションに見られる描写をもとに、その淵源を探る形でインドおよび中国の地獄観について紹介したものである。
荒見泰史、劉苗苗「異国から見た日本」は、広島大学森戸国際高等教育学院の留学生教育プログラムを紹介しつつ、それぞれのプログラムに参加した五人の外国人留学生の原稿を整理紹介するものである。学生の原稿としてはKhaled Assaf「日本語はまだまだです」、Yazan Haitham「日本人の生活の普通のこと」、Tettey Pamela Afi「日本について思うこと」、Kuanvinit Parkpoom「外国人に対する態度と日本の平等」、劉苗苗「シャレとユーモア」などで、短期集中の日本語日本文化プログラムから大学院博士課程学生まで、幅広い留学生の原稿から、彼らの日本観を紹介しようとするものである。
二 エキゾチックという感覚
さて、本書の主題ともなる「エキゾチック」ということばから、何を思い浮かべるだろうか。タイトルに冠した以上、その語釈から始めてみたい。
筆者と近い昭和3、40年代生まれの世代であれば、主に女性の形容で使われるという印象が強いのではないか。「エキゾチックな顔立ち」、「エキゾチックな女性」などの用例をすぐに思いつくのは筆者だけではあるまい。ただ、それが、実際あまり人前で使われることはなく、また聞いたことはあっても自分の口では言ったことがない、といった印象を同時に持つのではないか。何か魅惑的で、秘密めいた感じがして、自分の口から発せられることが憚られる、そんな印象があるように思う。
歌手の郷ひろみが1984年に旧国鉄のキャンペーンで「二億四千万の瞳─エキゾチック・ジャパン」を歌い、俳優になった中山美穂が1986年にアルバム「EXOTIQUE」を出していることを覚えているのは、やはり筆者の世代くらいと思う。「二億四千万の瞳」では「出逢いは億千万の胸騒ぎ……愛し合う瞳が火花を散らすよ、恋人たちを乗せた青い飛行船」のように歌われ、中山美穂は「EXOTIQUE」の収録曲の「ペニンシュラ・モーニング」の歌詞の中でも「シルクのタイトなドレス、ヒップまで切れこむスリット」に始まり「私はロシアの情報部員」と歌われる。ああ、そんなセクシーなイメージ、あったよな、と思い出しつつ懐かしくも感じる。ただ、世代間ではだいぶ「エキゾチック」の使い方も違っていて、学生に聞いたところ「エキゾチックなお店」のよう使うことがあるそうだ。また最近ではペットブームも発展して「エキゾチックアニマル」を所望される方が増えたかと思えば、「エキゾチックショートヘア」という種族(品種?)の猫が人気とも聞く。ことばは変化するものなので、そんなものかとくらいにしか思いはしないが、ここに何か一貫したイメージがあることにも気づかされる。
このエキゾチックということばは、本来的には「外来の」という英語のexotic、フランス語のexotiqueが日本で音訳外来語として使用されていることばで、『日本国語大辞典』(第二版)ではその本義に加えて「おもに憧れの気持ちを込めて用いる」とし、1914年の日本の『外来語辞典』を出典として掲載している(ただ「おもに憧れの気持ちを込めて用いる」の部分は『外来語辞典』には見られない)。その語源はラテン語のexōticus、古代ギリシャ語のξωτικός(exōtikós)といわれ、「外来」「外からの」を表すのが本義とのことで、今日の英語の解釈を見ても「especially in an exciting way(特にエキサイティングさを込めた)」意味を伴うとのことである。そうした点から、日本語では「外来の」「侵入した」から、「異国風の」「異国趣味の」「異種の」「新型の」、さらには「魅惑的な」といった意味に派生していったのは、本義からは大きく外れたものではないらしい。「エキゾチックショートヘア」という猫も、たしかにどこか今までのよく見かけるタイプとは違った風貌の猫である。そのような訳なので、女性の形容として使えば、「普段よく見かけるタイプとは違った風貌」と言えば何か失礼なような、「魅惑的な」と言えば今度は何かいかがわしいような、ということで、何か後ろめたく、使うのに憚られる気持ちが表に出るのであろう。若い方々が店や動物の形容として用いるのであれば抵抗感がないのも頷けるところである。要は外国的であり、魅惑的な要素の重なる、つまり、まずは「異形(異なる身体的特徴を持つ者)」への憧憬といった感覚ということになろう。この点では本書で松山論稿が特に論じている。
ところで、表題の「エキゾチシズム」が、このエキゾチックの名詞形であることは言うまでもない。