
歎異抄手帳
ISBN:978-4-487-81621-7
定価1,650円(本体1,500円+税10%)
発売年月日:2022年08月01日
ページ数:192
判型:B6変形
名著『私訳歎異抄』のポケットサイズ版が登場。
新たに「小見出し」「脚注」を加え、解説も一新しました。
=「まえがき」より=
歎異抄は、私にとってはいまだに謎にみちた存在である。
古めかしい聖典ではなく、いきいきとした迫真のドキュメントである。
この小冊子をつうじて、著者の熱い思いの一端でも再現できれば、というのが私のひそやかな願いだった。
まえがき 五木寛之
歎異抄(たんにしょう)はふしぎな書物である。
これまでにどれほど多くの評論、解説、訳がなされてきたことだろう。
親鸞(しんらん)という人の思想と信仰は、一般にはこの一冊によって伝えられ、理解されたと言ってよい。人びとは、親鸞自身の手になる著書よりも、この歎異抄に触れることで親鸞思想に出会ったと感じたのではあるまいか。
私もまたその一人だった。
他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた自分。敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きていた。その黒い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだ。
この書には、いまだに理解できないところも多い。それは当然だろう。親鸞その人の筆になるものではなく、第三者をとおして描かれた回想録であり、
その著者の悲痛な歎きの書であるからである。
『私訳 歎異抄』とは、私はこう感じ、このように理解し、こう考えた、という主観的な現代語訳である。そんな読み方自体が、この本の著者、唯円(ゆいえん)が歎く親鸞思想からの逸脱かもしれない。そのことを十分、承知の上で、あえて「私」にこだわったのだ。
歎異抄は、私にとってはいまだに謎にみちた存在である。古めかしい聖典ではなく、いきいきした迫真のドキュメントである。この小冊子をつうじて、
著者の熱い思いの一端でも再現できれば、というのが私のひそかな願いだった。
2007年夏 金沢への旅の途上にて
「解説 五木私訳『歎異抄』について」釈 徹宗 (冒頭より)
本書は、2007年(平成19年)に東京書籍から刊行された『私訳 歎異抄』を、同社の手帳シリーズにしたものである。『歎異抄』の分量を考えると、「手帳」というスタイルは合っているかもしれない。なにしろ全部で1万数百字、原稿用紙にすれば30枚にも満たない。原文・現代語訳・注・解説を合わせても、文庫本というよりも、手帳的な存在感である。
しかし、このわずかな分量の書が、なかなか手ごわいのである。原文を読むだけで理解できる人はあまりいないだろう。なにしろ、他力念仏者というごく限られた人に向けて書かれたものなのである。そしてその内容は、我々が一般的に思い描く仏教の姿とはかなり異なる。それゆえ、世に『歎異抄』の解説本が数多く出回ることになる。あまたある『歎異抄』本の中で本書の独自性を挙げるとすれば、なんといっても五木寛之の言語感覚である。
「五木私訳」と銘打たれているが、ひとつひとつの言葉は丹念にセレクトされ、慎重に配置されている。スタンダードな浄土真宗の『歎異抄』解釈を逸脱することなく、原文の世界を現代に展開している。(以下、続く)