図説 人新世
環境破壊と気候変動の人類史
ISBN:978-4-487-81520-3
定価3,080円(本体2,800円+税10%)
発売年月日:2021年10月27日
ページ数:224
判型:B5
ホモ・サピエンスは、地球をどのように改変してきたのか?
人類誕生以降から現在までの地球環境改変の歴史をビジュアルで理解できる図説が登場。
【本書の特徴】
・新しい地質年代「人新世」(ひとしんせい・アントロポセン)を、学問領域を越境して多くの写真と図解で平易に解説。
・人類誕生以降から現在までの地球環境改変の歴史、そしてこれから何かできるのかをビジュアルで理解できる。
・極端な異常気象、氷河の融解、死にゆく海、消えてなくならないプラスチック等、地球環境の危機も取り上げ、日々の暮らしにもたらす影響と課題を探る。
・動物、植物、微生物、山脈、海、湿地にも注目、人類を超えて地球全体への視界を広げる
《政治的立場が何であれ、私たちが、文明とその将来について、再考せねばならないことは明らかだろう。(…)これからの世界を変えていくのは若い世代の人々だ。多くの若い人たちに本書を手に取って欲しい。そして、世界を変える手だてを考えて欲しいと願う》――長谷川眞理子(本書「序文」より)
人新世(ひとしんせい、じんしんせいとも)
人類誕生後、先史時代から現在までの活動、とくに産業革命以後の活発な生産・開発・経済活動によって、地球はそれ以前の環境から急激に変貌した。そのため、最後の地質年代「完新世」のあとに「人新世」という区分が定義され、現在世界的な議論の的となっている。
『図説 人新世』紹介動画
2021年12月14日開催「『図説 人新世:環境破壊と気候変動の人類史』出版記念イベント:日本の読者への著者メッセージと日本語版編集関係者ディスカッション」in 駐日アイスランド大使館(高画質版)
序文
ケネス・クラークという英国の美術史家がいた。西洋美術に関する大家で、たくさんの著書を残した。その中に、『Civilisation』という書物がある。同書は彼がプレゼンターを務めた同名のテレビシリーズが元になっていた。1960年代のことである。古代ギリシャのあたりから始まって、中世、ルネッサンス、科学の始まり、産業革命、そして現代と、美術を中心としながら、西欧文明史を語ったものだ。
私は、この『Civilisation』という書物からは、美術の話だけではなく多くのことを学んだ。それは、題名が示すとおり、西欧文明というものの本質について語っているからだろう。そのテレビシリーズの最後のほうで、クラークは、英国グリニッジの壮大な建物の中を歩きながら、「文明とは何でしょう?」と問いかける。そして、高い天井のすみずみまで天井画のほどこされた美しい建物の全体を指しながら、「こんなものを心地よいと感じることではないか」と言う。
このテレビシリーズの放送が1969年。その頃までは、こんなに牧歌的に文明をとらえる態度で大丈夫だったのだろう。もちろん、ケネス・クラークという人物の個人的な世界観もあるが、当時の有名な美術史家として、そのように文明を素晴らしいものと肯定的に受け取って表明できていたのだ。
確かに西欧文明は素晴らしいのではあるが、「こんなものを心地よいと感じ」、快適さを求め続けていくことの裏には、大きな損失もあった。今や、その負の部分に目を向けないわけにはいかない。その実態を見極め、これまでのような快適さの追求から方向転換せねばならないだろう。
本書は、近現代の文明が、人々の暮らしの快適さを求め、国民総生産を増大させていく中で、地球全体に対してどんな負荷をかけてきたのかの実態を示すものだ。温暖化ガスの排出による気候変動の問題、森林破壊の問題、生物多様性の減少の問題など、個別には、これまでにも取り上げられてきた。しかし、2015年に国連で策定された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で掲げられた目標(SDGs)が世に出てから、これまでになく急速に、これらの問題の全体像が知られるようになった。要するに、現在の私たちが享受している文明生活は、持続可能ではない、ということなのだ。
1969年のケネス・クラークは、文明に関するこんな側面を想像すらしていなかったのではないだろうか? それは、世界のほとんどの人々がそうだったのだ。1972年に世界の学者たちの集まりであるローマ・クラブが『成長の限界』という報告書を出した。これは、当時のような経済成長を続けていこうとしても、いずれは限界が来るということを示していた。地球は1つしかなく、その資源は有限だからだ。しかし、当時はまだまだ高度経済成長の時代で、個別の公害問題というのは、経済成長の負の面として認識されたが、文明の本質的などん欲さに対する反省はなかった。
1992年にリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議は、温暖化をはじめとする地球環境の破壊の深刻さに関して重大な警告を発した。それまでにもこの手の国連の会議は何度もあったのに、なぜ1992年の会議が注目されたかと言えば、ソ連が崩壊し、東西冷戦が終結したためだと言われた。冷戦という状況がなくなり、世界各国の競争は、軍事的なものから温暖化対策の舞台へと移ったというわけである。そこで、気候変動枠組条約が採択され、多くの国々が共に地球温暖化対策に取り組むことになった。それでも、温暖化など本当は生じていない、生じているとしても、人間が排出する二酸化炭素のせいではない、などなどの議論がうずまき、一向に世界的な合意が得られなかった。気候変動枠組条約締約国会議(COP)は、ほぼ毎年開かれてもう26回にもなるのに、具体的な成果はあまり見えない。
最近の異常気象は、誰の目にも明らかだろう。日本だけでなく、世界中での現象だ。また、プラスチックゴミの問題、溶ける氷河の問題、原子力の問題など、多くの問題が、文明のあり方の問題として取り上げられるようになった。やっと、私たちの現代文明のかかえる問題が、全体像として認識されるようになったということだろう。
そして、この時代は、46億年の地球史から見ても、これまでにはなかった1つの時代として刻まれるだろう、と考える人々が出てきた。それが、「人新世」という新たな地質時代の設定の提案である。本書は、人新世とは何かを、多角的、かつ包括的に描いている。
人間が文明を持ち、快適さを追求し、経済成長を追求して、地球の環境を改変してきたことによって、地球環境全体のバランスは、確かに崩れてしまっている。しかし、「人間」とは誰かというと、世界中に住むすべての人間なのではない。ヨーロッパも北米も南米も、アジアもアフリカも、どこに住んでいる人たちも一様にこの破壊に加担してきたわけではない。先進国が、クラークの言うところの「心地よいものに囲まれた快適な生活」を実現していくうえで、途上国の環境を破壊し、人々の暮らしをみじめにしている。
しかし、その途上国の人々も、先進国の「快適な生活」を目指している、という矛盾がある。人新世の問題は、同時に、地球上の経済格差の問題でもあるのだ。都市に住んで快適な生活を享受している私たちは、途上国のそんな現場を知らない。
本書は、これらの問題について、わかりやすい解説をすると共に、インパクトの大きい写真を豊富に用いて、読者のイメージの形成に役立てている。気候変動の問題は、とかく政治的な立場の問題であるかのように論じられてきたきらいがある。しかし、地質学、気象学、生態学、人類学といった学問が真摯に取り組んできた結果を見れば、政治的立場が何であれ、私たちが、文明とその将来について、再考せねばならないことは明らかだろう。本書の最終章では、これからどうするのか、希望はあるのか、について書かれている。これからの世界を変えていくのは若い世代の人々だ。多くの若い人たちに本書を手に取ってほしい。そして、世界を変える手だてを考えてほしいと願う次第である。
監修 長谷川眞理子(はせがわ・まりこ 総合研究大学院大学学長、自然人類学者)
はじめに:新たな時代
2011年夏、「〔新たな地質年代〕人新世へようこそ」というコピーと共に、印象的な地球の絵が『エコノミスト』誌の表紙を飾った。漆黒の宇宙に浮かぶ地球は、表面を金属板、ボルト、ナットで覆われ、金属板がところどころ剥がれ落ちている。裂け目から内部の骨組みが露わになり、赤々と燃える炉が垣間見えている。この惑星は内も外も明らかに人類の手によりつくられたものだ。そして、どうやら急速に温まっているらしい。このイラストは大きな真実を語っている。過去数十年、人間の活動が拡大するにつれ、地球の生態系はかつてない規模で変化してきた。この時代に名前をつける必要がある──多くの人がそう考えたのも無理はない。その名が「人新世(ひとしんせい・アントロポセン)」である。なかには、人新世の明るい未来を思い描く人もいた。地球温暖化によって従来の寒冷地域が暖かくなれば、新たなチャンスが生まれるかもしれない。たとえば、カナダの北極諸島を抜けて北大西洋と太平洋を結ぶ新しい北西航路が開かれるという、何世紀も浮かんでは消えてきたヨーロッパの夢が実現するではないか。そんな希望を抱く人がいる一方で、人新世はどう考えても破滅的で、醜く、危険な時代になると考える人もいた。
『エコノミスト』の軽快で挑発的なコピーには、ほのかな傲慢さも感じられたのではないだろうか。この見出しには招く者と招かれる者を分断するような響きがある。そもそも誰を招待しようというのか。いったいどんな祭典(その表現が適切だとしたら)を催すというのか。人新世における環境有害性の大きさについて判明していることを考えれば、「ようこそ」という表現は軽率で、不快でさえある。「ホロコーストへようこそ」というコピーがあったら、と想像してみるといい。人新世への招待という比喩表現には、さまざまな解釈ができるだろう。2011年の『エコノミスト』読者の大半にとって「人新世」はなじみがなく、説明を要する言葉だった。だが今やこの用語は、メディア、学術、文学、視覚芸術など多くの分野に浸透している。2020年2月の時点でGoogle検索したところ、数百万件以上の結果がヒットし、その数は日々増え続けている。
「人新世(アントロポセン、Anthropocene)」は、「人」を意味する「Anthropo」と、一般に地質年代の「世」を表す接尾語「cene」を組み合わせた語だ。この言葉が暗示するとおり、人間の活動が及ぼす影響は、より以前の地質年代に見られた痕跡と同様、地球や人体に刻まれ、さまざまな形で現れている。2019年にイタリアで行われた気候変動デモで披露された地球(写真)は、あの『エコノミスト』の地球とはまったく違っていた。今や人新世は紛れもない悪であり、世界は炎に包まれている。人新世のイメージと評判は、わずか8年のうちに根本から変わった。地球温暖化は地球高温化に変わり、人類は大惨事へ向かう道を敷いてしまったのだ。
人新世の物語はまだまだ続く。私たちの未来、そして人類と生命そのものの運命にとって重要なのは、十分な情報を集め、深い関心を持ち、行動に備えることだ。本書では、人新世という語が生まれた経緯と理由、それが意味すること、そこから生まれる賛否両論を概説する。また、この用語に欠陥があるとされるのはなぜか、それにもかかわらず、今日の環境有害性に対する取り組みを促進するうえで有益かつ中心的な概念と見なされるのはなぜなのかを掘り下げていく。人新世という概念は、当初は単なる地質学の学術用語として、つまり新たな地質年代に呼び名をつけ分類するための手段として考案されたものだった。しかし、人新世はそうした枠に閉じ込められることを拒み、今や、自然史と社会史の垣根を崩すテーマとなっている。人類はすべてを左右する要因になっただけでなく、地質の、つまり地球そのものの一部になった。万物は地質学であると同時に、人間に関係するものなのだ。
本書では、人新世の概念だけでなく地球の環境危機も取り上げる。極端な異常気象、氷河の融解、死にゆく海、消えてなくならないプラスチックなど、人新世で起きている変化と、それが特定の状況で日々の暮らしにもたらす影響と課題を探っていく。本書は人新世に関するすべてを網羅した百科事典ではない。網羅しようとしたら数十巻の事典になるだろう。本書の狙いは、重要な事例やテーマを視覚的な資料と共に提示し、現代世界における私たちの新たな居場所と地球の危うい状態を浮き彫りにすることだ。とりわけ切迫しているのが、地球史上6番目の大量絶滅の波という課題である。地球の歴史物語の主役は人類だけではない。本書では、ほかの立役者たち──動物、植物、微生物、山脈、海、湿地にも注目していく。人新世とは、人類を超えて地球「そのもの」へと私たちの視界を広げさせる概念なのだ。
人新世になってから起きた種の絶滅と、その結果としての多様性喪失は、いわゆる「プラネタリーヘルス(地球の健康)」にとって重要な意味を持っている。2019年末から2020年にかけて、新型コロナウイルスが地球規模で拡散した。新型コロナウイルス感染症のパンデミックと、それが公衆衛生、海外旅行、経済にもたらした壊滅的な被害は、完全な自然災害ではなく、人間の活動が生み出した副産物と言えよう。感染症流行を引き起こすのは、地球や生物の生息環境、そして生命そのものをつくり変え、宿主から「ウイルスを無理やり解き放つ」人間の営みであることが明らかになりつつある。本書の執筆時点では、ウイルスの拡散や、迫り来る感染拡大への対策に政府と市民が忙殺されているため、新型コロナウイルス感染症と人新世との関連性は、一般メディアでは比較的控えめなトーンで報じられるにとどまっている。だが、パンデミックによる交通の抑制や停止の結果、数週間と経たないうちに、私たちは人間の移動に伴うカーボンフットプリント(炭素の足跡。個人や組織によるCO2排出量や環境負荷を表す)の規模を改めて思い知ることになった。北京など交通量が特に多い一部都市では、大気汚染がたちまちのうちに減少している。観光旅行が激減した結果、ヴェネツィアの運河もきれいになった。
人新世という概念、そして現実により浮き彫りになった劇的な展開を思えば、人類と環境の関わりの歴史、未来に向けた展望、そして行動を起こす好機に思いをめぐらせずにはいられない。本書では、人新世と折り合いをつけ、環境と社会を損なう影響を緩和もしくは逆転させるための人類の試みを掘り下げていく。そのためには、希望と行動、とりわけあらゆるレベルでの有意義な団結に注力することが重要だ。この壮大で急を要する、今まさに取り組むべき試みが失敗に終われば、若き人新世の夜明けは、その終わりを──つまり人類の歴史の終焉をも告げることになるだろう。
ギスリ・パルソン
レイキャヴィク(アイスランド)
2020年5月
コンテンツ
■PART 1 前奏曲
――01:はじめに:新たな時代/02:人新世をめぐる議論/03:ディープタイムの認識/04:初期の兆候と警告/05:火と「長い人新世」/06:消えゆく種の悲しい運命
■PART 2 人類が地球に及ぼす影響
――07:絶滅と“エンドリング”の誕生/08:産業革命の時代へ/09:核の時代/10:湿地の干拓/11:プラスチック:出汁とスープと島/12スーパーヒート/13:氷河の最期
■PART 3 さまざまな現象
――14:異常気象/15:火山の噴火/16:崩壊寸前の海/17:社会的不平等/18:北の人新世と南の人新世/19:第6の大量絶滅/20:無知と否定/21:大地と人間の一体性/22:溶岩を固める試み
■PART 4 希望はあるのか?
――23:失われたチャンス/24:地球のエンジニアリング/25:炭素固定と時間稼ぎ/26:抗議活動/27:ハウスキーピングとしての地政学/28:煙を吐く惑星
・年表・巻末注・索引・謝辞・クレジット