書籍編集の現場から
『漂流者の生きかた』
まぎれもなく,五木寛之先生であろう。1996年の『物語の森へ』から始まり,2020年の最新刊『漂流者の生きかた』(五木寛之・姜尚中 共著)まで著作タイトルは23冊にも及ぶ。五木先生は東京書籍100周年記念パーティー(2009年10月1日,椿山荘)の際にも祝辞を述べていただき,会社案内の巻頭にも激励のメッセージをお寄せいただいている。私にとって衝撃的で忘れられないのは,2007年『私訳 歎異抄』刊行記念講演会での発言だ。五木先生は次のようなことを話された。
「幸いなことに多くの出版社が私の本を出したがっている。それを,どうして東京書籍から出版したかというと,そこにいるKという男がしつこくて,うるさいからだ。会いたくもないのに,会ってくれ,会ってくれという手紙を毎年しょっちゅう送ってくる。あまりにもしつこいので,Kのために本を出すことにした」
Kというのは,当時の五木先生の担当者で,書籍編集部の大先輩の方だが,このときの胸の鼓動は今でもよみがえってくる。
──君のために本を出す──。著者と編集者との理想的な姿を垣間見た。
それから十二年。『漂流者の生きかた』の編集半ばで,Kさんは定年退職をされた。
突然,バトンは私に渡された。五木先生の後任が私につとまるのだろうか。姜先生にはどうやってご挨拶をすればいいのだろうか。1カ月間,思い悩んだ方策や文章をノートに書きなぐっていた。そして,意を決して,手書きの手紙を出し続けることにした。
拝啓 五木寛之先生,拝啓 姜尚中先生。
ポストに投函するときの緊張感が今も右手に残っている。
しばらくして,姜先生からのお葉書が舞い込み,五木先生のマネージャーさんからも返信が届くようになった。疑心暗鬼ながらも,編集再開の手ごたえを感じ,ようやくつかみかけた両先生との細い糸を,途中で途切れないように途切れないように,丁寧に丁寧にくくり続けていった。
──君のために本を出す──。そんな日が自分にも来ることを祈っていた。
新型コロナウイルスは,私たちの日常を変えてしまった。しかし,新しい生活様式とはいったい何なのだろうか。国の指導者も私たちもさまよっている。日本中がまさに「漂流者」となってしまった。すべてが見えない時代にあって,漂流者はどのように生きていくのか。故郷の喪失,格差の拡大,ヘイトスピーチ,鬱の苦しみ。これらの難題を予期していたかのように,五木寛之と姜尚中の二人が初めて向き合い,自らの人生とあわせて新たな生きかたを模索していく。魂と魂の対話ともいえる発言の1行1行から,読者は必ずや多くの啓示や示唆を感じ取ることであろう。
東京書籍 編集制作部(T・U)
写真:戸澤裕司
写真:戸澤裕司
2020年9月