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「新編 新しい社会3」p.95の資料5「消防士のきんむ表」に、「当番」「非番」「休み」とあります。「非番」は勤務しないので休みだと思うのですが、「休み」とどう違うのでしょうか。
 表にあるように、消防署では、1日交代で当番・非番を繰り返すことが一般的です。これは、労働日2日のうち1日を当番勤務、もう1日を非番勤務とするもので、2日分の仕事を1日にまとめて行うという考え方です。つまり、非番日分の勤務時間を当番日に繰り上げることで、24時間連続勤務ができるようにしているわけです。ですから、非番日はあくまでも労働日であり、休日ではありません。
 消防署ではこのように、労働日2日分の勤務時間を1日にまとめるなど、勤務時間を工夫して、24時間いつでも出動できる体制をとっています。このような勤務時間の工夫は、警察署でも同様に行っています。
4年「自然災害からくらしを守る」の単元で、風水害を事例にしているのはなぜですか。
 4年「自然災害からくらしを守る」の単元で、風水害を事例にしている理由は主に以下の通りです。①近年、全国的に大きな風水害が頻発していること、②風水害は行政、地域の防災・減災の具体的な取り組みが見えやすく、学習の主旨に沿うこと、③全国的に4年の地域学習における風水害の研究実践が多く見受けられることなどが理由です。とはいえ、地震災害などの学習も重要であることは言うまでもなく、教科書では4年p.90-91「ひろげる 地震からくらしを守る」や5年下巻p.88~「自然災害を防ぐ」、6年政治・国際編p.46~「震災復興の願いを実現する政治」などで地震災害を扱い、社会科教科書全体で総合的に自然災害や防災について学習できる構成にしています。
5年生の「水産業」に関する統計資料で使われる用語として、「水あげ量」や「生産量」、「漁獲量」があると思うのですが、これらの用語の違いは何でしょうか。
 農林水産統計上、「水産業」は大きく「漁業」「水産加工業」の二つに分けられ、さらに「漁業」は「漁業」(獲る漁業)と「養殖業」(育てる漁業)に細分されます。この分類に従い、(獲る)漁業により採捕した水産動植物の重量を「漁獲量」、養殖業により収穫した水産動植物の全ての重量を「収獲量」と言います。通常、「漁獲量」と「収穫量」を合わせた概念として「生産量」の用語が使われています。教科書では、「獲る漁業」と「育てる漁業」の二つを扱っているなかで、特に使い分ける必要のある場合以外は「生産量」を用いています。
 以上の用語がいずれも、捕獲・収穫時の量を指すのに対し、「水あげ量」は漁港に水あげされた時点での重量を指します。船上で加工したり、船内食に用いたりすることがあるので、捕獲・収穫時の重量とは異なってきます。
5年生の「工業生産と工業地域」の小単元で、北九州工業地域と地図中に記載されています。以前は、北九州工業地帯としていたと思いますが、変わったのはなぜですか。
 北九州について、工業地帯と呼んでも工業地域と呼んでも間違いではありません。いずれも通用する呼び方です。
 工業地帯と工業地域の呼び方の違いですが、明確な定義はないものの、工場が集積した歴史的な展開、工業地の広がり具合や生産額の規模を考慮して、地帯と地域が区別されています。
 日本の産業発展の歴史から、従来は京浜・中京・阪神・北九州を指して四大工業地帯とするのが一般的でした。しかし、近年の北九州の生産額が京浜・中京・阪神と比べて著しく低くなっており、かつ、工業地域と称している東海、北陸、京葉などと比べても大差ない現状から、「四大工業地帯」の言葉は使われなくなってきています。それに伴って「北九州工業地域」と表記される場合が増えてきています。
 教科書の記述も、こうした状況を反映して、「地帯」、「地域」の両方が使用されているわけですが、弊社では平成17年度使用の教科書から「北九州工業地域」と表記しています。
6年「歴史編」の「大和朝廷(大和政権)」という表記について教えてください。
 「大和朝廷」および「大和政権」の表記について、近年の研究では、「朝廷」は大王を中心として一定の臣僚集団による政治組織が形成された段階を指し、「政権」はそれ以前の内廷的・宮廷的な段階を指すという考え方が中心となっています。
 従来の教科書では、それら二つの段階を細かく区別せず、包括して「大和朝廷」と表記していましたが、古墳時代から徐々に大和政権が成立した様子を扱えるようにという指導要領の主旨をふまえ、令和2年度版の教科書から、本文の初出の箇所において、二つの名称を併記して「大和朝廷(大和政権)」と表記しています。
6年「歴史編」の「百姓」という用語について教えてください。
 教科書p.73の用語解説にある通り、「百姓」とはもともとは「一般の人々」という意味でした。「百聞は一見に如かず」という表現があるように、「百」は「多くのもの、種々のもの」を意味します。
 在地領主として武士が登場すると、「百姓」は年貢などを納める人々を意味するようになり、さらに近世になると、武士身分と百姓身分が明確に区別されるようになりました。百姓身分には漁業や林業に従事する人々も含み、百姓=農民ではありません。
 「武士」や「町人」と同じようなレベルで身分を表す用語としては「百姓」が適切であること、また「百姓」という言葉の本来の意味を理解することが大切であることなどをふまえ、中学校の教科書では平成9年度版から身分を表現する呼称として「百姓」の用語を使用しており、小学校の教科書でも平成12年度版から「村人(百姓)」と表記し、さらに平成17年度版から紙面に上記のような用語解説を設けた上で、身分を表現する呼称として「百姓」の用語を使用しています。
6年「歴史編」で、以前の教科書で使われていた「士農工商」や「四民平等」の用語が使われていないことについて教えてください。
 かつては、教科書に限らず、一般書籍も含めて、近世の身分制社会とその支配・上下関係を表す用語として、「士農工商」という表現が使われていました。しかし、部落史研究を含む近世史研究の進展にともない、従来の理解・表現に修正が加えられるようになりました(『解放教育』1995年10月号・寺木伸明「部落史研究から部落史学習へ」明治図書、上杉聰著『部落史がかわる』三一書房など)。
 修正が迫られた点としては、主に以下の2点です。
 1点目は、近世の身分制社会を表す言葉として「士農工商」という表現が適切でないという点です。史料的にも従来の研究成果からも、近世の社会には武士や町人、百姓のほかに、皇族や公家(貴族)、僧や神官などの宗教者、芸能者、絵師、学者、医者など、さまざまな身分が存在しており、「士農工商」という言葉で当時の身分制社会を表現するのは適切ではありません。
 2点目は、近世の身分制社会を「士-農-工-商-えた・ひにん」といった身分の上下関係(ピラミッド型)でイメージするとらえ方が適切でないという点です。支配層は武士ですが、それ以外の身分の間には基本的に支配・上下関係は無く(かつては「農」が国の本であるとして「工商」より上位にあったとする説明もあったようですが、そのような上下関係もありませんでした)、百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々も社会の底辺の存在ではなく、社会のいわば「外」にあり、武士の支配下にあったということです。
 以上のような研究動向などをふまえて、平成12年度版の教科書から、身分制度を表す言葉として「士農工商」という用語は使用しておりません。

 また、「四民平等」の「四民」という言葉は、もともと中国の古典で使われていた言葉で、『管子』(B.C.650頃)に「士農工商の四民は石民なり」とあります。「石民」とは「国の柱石となる大切な民」という意味です。ここで「士農工商」は、「国を支える職業」といった意味で使われており、近世の日本でも、社会を支える(社会に役立つ)職業といった意味で使われました。
 「四民」という言葉もまた、本来、「天下万民」「すべての人々」といった意味ですが、抽象的な概念であることや、小学校の児童に説明をするのは難しいといったご指摘もあり、平成17年度版の教科書から「四民平等」の用語は使用しておりません。
 「四民平等」の用語は、明治政府の一連の身分政策を総称するものですが、公式の名称ではなく、この用語の理解自体が重要な学習内容とは必ずしもいえません。むしろ、以前の教科書にあった「江戸時代の身分制度も改めて四民平等とし」との記述に比べて、現在の教科書の「江戸時代の身分制度は改められ、すべての国民は平等であるとされ」との記述のほうが、近代における「国民」の創出という側面を含めた明治時代の改革・変化の全体像の中で考えることにつながるといえます。 (「四民」の語義については、上杉聰著『部落史がかわる』三一書房p.15-24を参考にしました。)