砂埃の向こうの近代都市 ― クウェート
あるとき、日本に駐在するクウェート人夫妻のお宅に招かれた。番組の仕事でクウェートを訪れた際、取材場所の選択や、現地とのやりとりにおいて何かと力を貸してくださった方である。クウェートから戻った私たちはその日、食事に招かれ、奥様と二人の娘さんも含め食卓を囲みながら雑談を交わしていた。
どこまでも平らな砂漠地帯。遠くに見えるのは油田だろうか。ひっきりなしに炎が立ち上っている。それでなくても視界は、時々かすむように歪む。暑さのせいで生まれた陽炎のせいかもしれない。
日本の四国ほどの国土をもつクウェート。小さな国でありながら油田を有する豊かな国として知られている。それゆえに直面した国家存続の危機。――郊外には1990年のイラクによる侵攻の跡も残されていた。
破壊されたまま放置された建物や、壁に打ち込まれた無数の弾丸の跡。私が訪れた場所はまだ、ほんの数日前に襲撃にあったかのような重い空気がたちこめ、連行・もしくはその場で殺されたかもしれない人々の遺した帽子や靴が床に転がっていた。そこに舞う砂吹雪。
そんな砂埃と陽炎の向こうに突如として現れる近代都市、それがクウェートの首都、クウェート市だった。
市のランドマークでもあるクウェートタワーは、大きな球形が特徴的だ。独立した3本の塔からなるタワーのうち、球体を持つ2本は給水用の水を貯え、残り1本は他の2本を照らす照明塔になっているという。実際、夜になるとこのクウェートタワーは見事にライトアップされ、砂漠に浮かんだ近未来都市のような妖しい光を放つ。
ホテルに併設したアーケードや大型のショッピングモールに入れば、世界有数のブランドショップ。吹き抜けの高い天井の下、ターバン姿の男性がヴィトンのバッグを下げて歩いている。同じくガトゥラと呼ばれる帽子を被り、くるぶし丈の白い民族衣装をまとった男性の足元は、グッチのビットモカシン。彼は携帯を手にしながらスターバックスでコーヒーを飲んでいる。
「はあ、クウェートにもスタバはあるのだな」
スタバはクウェートの男性にとって一種の社交場となっているそうだが、それよりもターバン姿の民族衣装にヴィトンやグッチのバッグ&靴というコーディネートが印象的で、思わず目を留めてしまった。
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市内のブランドショップ |
ターバン姿の男性 |
一方、ショッピングモールの外に出ると、激しい熱気に目がくらみそうになる。たくさんの人々が行き交う市場の雑踏。なんと書いてあるのか、まるでわからないアラビア語。6月の中旬。まだ陽の高い日中など、照りつける太陽とコンクリートの照り返しが、痛い。
町を歩きホテルに戻ると、ビールの一杯でも飲みたくなるが、禁酒国であるこの国ではホテルの冷蔵庫にビールが冷えているなどということは、ない。海外からの駐在員も、しばしばワインを自宅で作っていると聞く。どうせならそんな、クウェート産自家製ワインを味わってみたかったが、現地にそのような知り合いもなかったため、試しにホテル裏の小さな商店で尋ねてみることにした。水を買いに行った際、小声で「ビールはないの?」と聞いてみる。一瞬怪訝そうな顔をした店員は、それでも「ちょっと待て」という手振りをし、一度店の奥に隠れると紙袋に包んだ数本のビールを持ってきてくれた。もちろん冷えているわけなどなく、非常に割高なビールだったように記憶しているが。
またある晩、仕事を手伝ってくれた現地クウェート人の男性に、町を案内してもらったときのこと。暗闇が深い分、灯りあるところはとても明るく見える。立ち寄ったスタンドバーのような店もそうだった、煌煌と光を放ち、音楽を鳴らし、現地の若いコたちが集っている。きっと流行りの店に違いない。
小走りに店に入っていった彼は振り返り、私に
「何を飲む?」
と問いかける。週末の夕刻。もう陽も落ちてようやく涼しくなったころ。この時間に何を飲むかと聞かれれば、「ビール」や「ワイン」とも答えたくなるけれど、ここは勝手知らぬ異国の地。常識から逸脱してもいけないと思い、
「何があるの?」
と逆に聞き返した。すると返ってきた答えは
「アップルにオレンジ、ピーチにメロンに・・・」
…ジュースなのだ。どれもこれも。結局メロンなんとかという、とても甘いジュースを御馳走になったが、いくら外国人とはいえ、「お酒を飲みたい」などと女性である私の方から言わなくて良かったと、つくづく思った。
そのとき私は、それより以前スペインで知り合った、クウェート人の男のコの話を思い出していた。クウェートからの留学生だった彼の目に、スペインの女のコたちは、とても刺激的に映ったらしい。何しろ本国では年頃の女のコが肌を露出して歩くことなど、ない。ましてや道を歩きながらタバコを加えている女性など、あり得ない(かつてのスペインではタバコを吸いながら歩く女性も多かった)。
彼の話によると、クウェートの女のコは恋人とデートするのもままならないという。逢いたくなれば電話で連絡を取り合い、彼女がこれから親と市場に行くと言えば、彼もまた同じとき同じ場所に向かい、少し離れたところから互いを認め合うのだという。
「・・・それだけ?」
「それだけ」。
それをデートと呼ぶのか、ましてや「彼女」と呼ぶのかはわからないが、まともに逢うこともできない彼女といったいどこで知り合ったのか。聞けば「友人の結婚式で」。彼らにとって友人の結婚式というのは、男女が同じ場所に集える貴重な出会いの場なのだそうだ。
もちろん家柄や宗教(国民すべてがイスラム教というわけではない)、世代によって違いもあるだろう。しかし長い間選挙権がなく、2005年になってようやく女性の参政権が認められたことなどを見ても、女性の振る舞い、社会進出についてはまだまだ保守的なのだろうと想像もつく。
男女の分業を説くというイスラム教。男は外で働き、女は家を守る。それは女性差別的な考えではなく、男は男の役割、女は女の役割を果たすということ、つまり分業なのだろう。男は男らしく。女は女らしく。「らしく」というのは難しいが、確かに本来持っている女性性を捨てて、男性並みに強くなることが、女性の解放・自由とは言いがたい気もする。
私たちを食事に招いてくださった駐在員夫妻を見ていても、そう思った。
口元のヒゲと深い瞳。その貫禄から余計に老けて見えたのかもしれないが、重要なポストを任されクウェートから日本にやってきた彼は、50歳くらいだったろうか。それに対し夫人はとても若く、20代前半にも見える。柄モチーフのドレスがそう見せるのか、グラマラスでエキゾチックな美人だった。彼女は会話においても振る舞いにおいても決して出過ぎることはなく、常に笑みを浮かべ、夫や来客の言葉に時々静かに頷いている。親ほども年の離れた夫にそう、教育されたのか、それともクウェート女性のたしなみなのか。
一方、夫も妻に対する配慮を忘れない。ふとしたときに妻の肩に手を置き、彼女が会話に加わりやすいよう促している。
そんななか夫は、日本の武士道の話を始めた。彼は武士道に非常に感銘を受けるのだという。
封建社会の日本における思想。家を重んじた社会で家長は尊ばれ、絶対的な力を持っていた。それはクウェートの社会とも似ていたのだろう。一方、女性にとって貞操は命よりも大切なものとされたのに対し、跡取りを絶やさない目的で、武士の世界では「側室」の存在も認められていた。それはイスラム教国で聞かれる一夫多妻制とも(同じではないが)通じるものがあるかもしれない。
一夫多妻というと女性蔑視のようにも響くけれど、そもそもは社会的に力のない女性を養護する意味合いもあったという。また戦争などで男性の数が減り、男女間の人口不均衡が起きたため、一夫多妻制が導入されたとも言われている。現在実質的には、一夫一妻がほとんどだというが、いずれにしても多妻を養う男性には財力が求められた。武士の世界でもイスラムの世界でも、富と権力のある男でなければ妻以外の女性を手にすることはできなかったわけだ。「浮気も男の甲斐性」とはよく言ったものだ。
そんなおり、それまで大人しく笑みを浮かべながら夫の話を聞いていた夫人が、初めて口を開いた。
「そんなに武士道がお好きなら、あなたもハラキリをする覚悟が無ければなりませんね」
静かで、でもハッキリとした口調だった。
男としての美学を誇示し、他の女性に目を向ける甲斐性があるのなら、腹切りするくらいの覚悟が必要ですよ、とも聞こえてくる。言葉少ない婦人が笑顔で口にした「ハラキリ」という日本語は、妙にキリリと耳に飛び込んできた。
神奈川県出身。大学卒業後、出版社に勤務。出版社退職後、雑誌のエディター、ライター、テレビ番組の構成作家として活動。スペイン、オーストラリアなど海外での生活経験も豊富。著者に『スペイン巡礼の道を行く』(東京書籍)など。