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中学校 国語

教科書で使用されている書体は明朝体のようですが、「ごんべん」や「しんにょう」などが、一般の明朝体の形とは違っています。なぜこのような特殊な明朝体を使用しているのですか。
 「新しい国語」の本文書体には、弊社が独自に開発した特別な明朝体を用いています。この明朝体についてご説明する前に、まずは小学校と中学校の教科書の、本文書体の違いについてご説明します。
 小学校では、多くの教科書の本文書体に「教科書体」が使われています。教科書体は、筆遣いや字形を書き文字(筆写の場合の文字)に近づけたもので、国語や書写で学習する文字との齟齬がなく、文字の書き方を学習していく小学生が使用する教科書に最も適した書体といえます。一方、中学校では、多くの教科書の本文書体に「明朝体」が使われています。明朝体は、一般に最も可読性(読みやすさ)に優れているとされ、小学校に比べはるかに文字量の多くなる中学校の教科書に適した書体といえます。また、新聞や書籍をはじめ一般社会では、明朝体が圧倒的に多く用いられており、社会生活に慣れるという点でも、中学校から明朝体で学習していくことが適切だと考えられます。
 しかし、明朝体は可読性に優れている反面、筆遣いや字形が書き文字とは違うため、文字の書き方の学習に適した書体ではありません。例えば、「しんにょう」や「心」「令」などの文字では、明らかに形が違います。また、「いとへん」は6画で書きますが、明朝体では「折れ」の部分が2画に見え、8画で書くかのように見えてしまいます。中学校の国語では漢字を新たに1110字も学習しますが、これらの漢字を明朝体で学習してしまうと、筆遣いや字形を間違えて覚えてしまうことになりかねません。
 そこで、弊社では、中学校国語・書写の教科書用に、筆遣いや字形を書き文字に近づけた特別な明朝体を開発しました。教科書体と明朝体との中間ともいえる書体で、明朝体の可読性と教科書体の筆遣い・字形の正しさを兼ね備えた書体です。「しんにょう」などの違いが分かりやすい部分だけでなく、例えば「ごんべん」の1画目(明朝体では「横画」だが、書き文字では「点」)など細かいところにまで注意を払って制作しています。一般の明朝体を見慣れている大人にとっては、最初はやや違和感があるかもしれませんが、学習上の効果を優先して使用している書体ですので、なにとぞご理解いただきたいと思います。
 なお、「新しい国語」の本文書体は前述の特別な明朝体ですが、漢字を学習する「漢字道場」や新出漢字欄(脚注・後注)では、書き文字に最も近い教科書体を使用しています。また、明朝体と教科書体との違いや、「新しい国語」で使用している特別な明朝体については、教科書1年33ページの「漢字道場1 活字と書き文字・画数・筆順」の中で簡単に説明しています。
本文の漢字に付けられている振り仮名(ルビ)の数が、ずいぶん多いように思います。どのような基準で振り仮名を付けているのか、教えてください。
 まず、「新しい国語」の振り仮名の付け方の基準について、ご説明いたします。小学校で学習していない漢字の読みが含まれる熟語には、各教材の初出箇所に振り仮名を付けることを原則としています。また、小学校で学習している読みであっても、複数の読み方があって紛らわしい場合などには、振り仮名を付けています。3学年を通して同じ基準で振り仮名を付けていますので、例えば中学1年で既に新出漢字として学習している漢字についても、中学2年でも各教材の初出箇所に振り仮名を付けています。
 既習漢字であっても振り仮名を付けるという方針をとっているのには、次のような理由があります。まず、国語科では、学校や地域の実情に応じて教材の順番を入れ替えて学ぶ場合も多く、既習漢字と未習漢字の区別が必ずしも一様ではないということです。次に、漢字と振り仮名の組み合わせを繰り返し目にすることによって、漢字の読み方を確実に覚える効果が期待できるということです。更に、限られた授業時数の中で漢字や語彙調べに時間を取りづらいという実情を考えたとき、漢字が読めないことによる、内容の読解以前の段階での学習抵抗や苦手意識を軽減できると考えるからです。
小学国語教科書では、会話文が2行以上にわたるときに2行目以降を全て1字下げて書き表しているのに対し、中学国語教科書では、2行目以降を1字下げないで書き表しています。会話文の表記の方法が小学校と中学校で違うのは、どういう意図があるのですか。また、教科書では、会話文の最後(かぎ括弧の直前)に句点(。)が付いていますが、一般の書籍などでは、会話文の最後の句点を付けない書き表し方がよく見られます。なぜ、このような違いがあるのですか。
 まず、会話文の2行目以降の1字下げの有無についてご説明します。
 小学校の国語教科書では、明治36年の第1期国定教科書以来ずっと、会話文の2行目以降を1字下げる書き表し方が採られてきました。戦後の小学校教科書は、この国定本の伝統を踏襲してきました。小学校段階では、2行目以降を1字下げたほうが会話文と地の文とがはっきり区別できて読みやすいという配慮があったものと考えられます。
 ただし、これは小学校教科書独特の表記法で、書籍・新聞・雑誌などでは、2行目以降を1字下げないのが一般的です。ちなみに、旧制中学校用の教科書は尋常小学校用ほどには統一されておらず、2行目以降を1字下げない形式が年代に関係なく見られます。
 中学校段階では、会話文と地の文との区別を強調することより、一般的に通用している表記法に慣れることを優先し、2行目以降を1字下げない書き表し方を採用しています。この小学校・中学校での使い分けは、各社の国語教科書に共通しています。
 次に、会話文の最後の句点の有無についてご説明します。
 教科書で句点を付けているのは、「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」(昭和21年3月、文部省発行)の記述に基づきます。ここには、〈「 」(カギ)の中でも文の終止にはうつ。〉と記され、〈「どちらへ。」「上野まで。」〉という例文が挙げられています。この資料は、「言葉に関する問答集 総集編」(平成7年、文化庁)によると、「現在でも、公用文、学校教育その他で参考にされる場合が多い」とされています。
 一方、書籍・新聞・雑誌などでは、かぎ括弧の直前の句点を省くことが広く行われています。その理由としては、句点がなくてもかぎ括弧によって区切りが分かることや、省くほうが限られた紙面に盛り込める文字量が増えることなどが考えられます。
教科書では、書名(本の名前)を書き表す際、「坊っちゃん」のように通常のかぎ括弧が用いられていますが、一般的には、『坊っちゃん』のように二重かぎ括弧が広く用いられているようです。なぜ、教科書では「 」を用いているのですか。
 確かに、一般の書籍・新聞・雑誌などでは、書名を示す際に『 』を用いることが広く行われています。『 』を用いることで、それが書名であることをより明確に示せるという利点があるためかと思われます。ただし、書名ではなく作品名(あるいは論文名など)を表す際には、書名と区別して「 」を用いるということもよく行われています。
 書名と作品名で書き分ける場合には、一見同じ名称でも、短編集の書名としては『走れメロス』と書き、単独の作品名としては「走れメロス」と書くことになります。1冊の本が1編の作品から成っている場合には、それを書名として扱うか作品名として扱うかによって、『坊っちゃん』「坊っちゃん」と書き分けることになります。
 教科書では、作品名を示す場合が多いといえますが、書名を示す場合だけ『 』を用いるとなると、見かけ上の不統一感が生じたり、どちらを使うべきかの判別がしにくい事例がしばしば出てきたりすることが考えられます。
 また、学校教育において参考にされることの多い資料である「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」(昭和21年3月、文部省発行)には、かぎ括弧の中で更にかぎ括弧を用いる場合に二重かぎ括弧を用いる旨が記されていますが、書名や作品名については特段、二重かぎ括弧の使用を促す記述はありません。
 以上のようなことから、「新しい国語」では、書名を示す場合であっても一律に「 」を用いています。
連用修飾語[部]が(間に別要素を挟まずに)述語[部]を修飾する場合、その両者を合わせて連文節とし、述部としているようですが、これは一般的な解釈でしょうか。例えば、「妹の 絵理が にこにこ 笑う」について、「にこにこ 笑う」を述部としているような場合のことです。
 その疑問にお答えする前に、まず、そもそも学校文法ではなぜ連文節という概念が導入されているのか、という点から改めて整理してみます。その理由は大きく分けて二つあります。

 一つは、文節論の理論的な欠陥を補うという点にあります。それは特に、並立の関係を持つ文節と、補助の関係を持つ文節とに関わってきます。
 まず、並立の関係を持つ文節の場合を考えます。
  (1)青く 広い 海が 見える。
  (2)私と 妹が 公園に 行った。
の「青く 広い」(1)、「私と 妹が」(2)に関して、連文節を導入しないまま文節の考えを杓子定規に適用すれば、(1)では「海が」にかかる連体修飾語は「広い」だけで、「青く」は「広い」の連用修飾語ということになってしまいます。(2)では、「行った」という述語に対する主語は「妹が」のみということになってしまいます。しかし、自然な言語感覚では、当然、「青く」も「広い」もともに「海」の様子を表していると考えますし、「行った」という行為の主体は「妹」だけではなく「私」と「妹」の二人と考えます。
 補助の関係を持つ文節の場合は、もっとおかしなことになります。
  (3)家を 出た ときには、 雨が ポツポツ 降って いた。
 この例について、やはり連文節を導入しないと、「雨が」という主語に対する述語は「いた」である、という説明をするしかありません。しかし、言うまでもなく、「降って いた」の二文節のうち、実質的な意味を持っているのはむしろ「降って」であって、それを取り除いて「雨がいた」などという文を作っても意味をなしません。
 このように連文節は、第一に、文節論が自然な言語感覚とかけ離れてしまうことを防ぐために導入された概念です。「青く広い」(1)、「私と妹が」(2)、「降っていた」(3)のようなものは、ひとかたまりとなって文節相当の働きをする、と考え、それを連文節とよんだのです。
 実は同様のことは、並立の関係・補助の関係の場合に限りません。例えば、
  (4)母が、入院して いる おばあちゃんの お見舞いを した。
  (5)弟は 来年 小学4年生に なる。
のように、「する」「なる」のような抽象度の高い動詞が述語である場合にも、「母がした」「弟はなる」では、ほとんど意味のない文にしかなりません。「お見舞いをした」「小学4年生になる」でひとまとまりのものと考えなければおかしいので、やはり連文節となって初めて、文の中でまっとうに働くと見るべきものです。

 さて、連文節という考え方が導入されたもう一つの理由は、言葉の単位についての分析である文節論を、文の仕組みや成り立ちに関する論(構文論)へと発展させるため、ということです。
 文節は互いにさまざまな関係で結び付いて、「文」を成り立たせます。このとき、文節の結び付き方は一様ではなく、その緊密度には違いがあります。並立の関係・補助の関係を持つ文節どうしは、最も緊密度が高いため、文の中で初めに結び付きます。また、その他の関係についても、それぞれ語順や関係の在り方に従って、緊密度の高いものから順番に結び付きます。
  (6)白い 花が 咲いた。
 この例の場合、「花が」と「咲いた」が先に結び付くとすると「白い」は「花が咲いた」を修飾することになり、やはり自然な言語感覚には合いません。あたりまえのようですが、この場合は、まず「白い」と「花が」が修飾・被修飾の関係で結び付いて「白い花が」というまとまりをなし、次にそれが「咲いた」と主語・述語の関係で結び付く、と考えるべきでしょう。そして、この場合、結び付きの途中段階である「白い花が」は、これもやはりまとまっての機能を有している(この場合は主語相当)のであり、連文節とよんでよいものであると考えられるのです。この場合は、連体修飾語と被修飾語が連文節を作っていますが、これは連用修飾語と被修飾語の場合でも何も違いはありません。先に挙げた(4)(5)の例、「お見舞いを した」「小学4年生に なる」は連用修飾・被修飾の関係にあります。これを連文節にならないと考えるのは、おかしいでしょう。
 更に、構文論的な領域にまで踏み込んで連文節を考えたときには、連文節は徐々に大きく結び付いていって、やがて文になる、という考えに行き着きます。次の例で考えましょう。
  (7)私が 大切に 育てたので 白い 花が 庭の 花壇で きれいに 咲いた。
 まず、単文節どうしの関係で見て、隣接していてかつ直接の関係を持つのは、「大切に 育てたので」「白い 花が」「庭の 花壇で」「きれいに 咲いた」の四つのペアです。この段階では、次のような連文節の区切りができます。
  (7)-1 私が 大切に育てたので 白い花が 庭の花壇で きれいに咲いた。
 次に、「私が 大切に育てたので」「庭の花壇で きれいに咲いた」が結び付きます。この段階での連文節の区切り方は次のようになります。
  (7)-2 私が大切に育てたので 白い花が 庭の花壇できれいに咲いた。
 次に、「白い花が 庭の花壇できれいに咲いた」が主語・述語の関係で結び付きます。
  (7)-3 私が大切に育てたので 白い花が庭の花壇できれいに咲いた。
 最後に、「私が大切に育てたので」と「白い花が庭の花壇できれいに咲いた」が接続の関係で結び付きます。第一段階の「大切に育てたので」「白い花が」「庭の花壇で」「きれいに咲いた」も、第二段階の「私が大切に育てたので」「庭の花壇できれいに咲いた」も、第三段階の「白い花が庭の花壇できれいに咲いた」もどれも「連文節」です。更にいえば、「文」それ自体が、連文節の最終段階だとさえいえるのです。構文論的に考えたとき、文節とは違って、連文節は一通りの区切り方だけがあるのではない、ということは重要です。
 こうした、構文論的な領域に踏み込んだ、連文節の階層性は、文節や連文節を初めて提唱した国語学者である橋本進吉によっても、あるいはその後の文法研究者によっても、連文節論の中核的な考えとして説かれてきたものです。

 これまで述べてきたことをまとめて言えば、こういうことです。連文節が学校文法に導入された二つの理由のうち、第一のものは、文節論の欠陥を補うもので、文節の説明をするならばどうしても必要になるものです。それに対して第二の理由は、発展的な理由といえるでしょう。「新しい国語」は、この第二の理由に関わるところ(つまり構文論)まで理解する、ということを目標として編集されています。他社の教科書には、ここまでは取り上げないものもありますが、それは、連文節に関する理解の目標を、便宜的に、第一の理由までにとどめているのです。その場合には、連文節について、並立の関係・補助の関係によってできたものだけを説明すればおおむねこと足りるわけで(ただし、その場合でも「にこにこ笑う」のような例を連文節とするのが「誤り」であることには当然なりません)、分かりやすさ、という点からすれば、こちらを採用するのにも理由はあります。しかし、前に述べた「お見舞いを した」「小学4年生に なる」というような場合を連文節としてきちんと理解することができないおそれがある、というのはいささか困ります。
 「新しい国語」では、そのような不都合を避けるためにも、また、より深い文法理解のためにも、連文節の取り扱いをもっと発展的なものにしました。そして、そのように構文論的な領域にまで踏み込んだ場合には、隣接していて、直接の関係を持つ文節どうしはいかなる関係によっても連文節を作る、ということや、連文節の区切り方には階層性がありうることを、説明する必要があるのです。
歴史的仮名遣いの音読法の指導では、「au」は「o」を長音化させて音読するよう指導するのが一般的なようです。これに従うと、「平家物語」中の「向かふ」「たまふ」や、「おくのほそ道」中の「行き交ふ」は、それぞれ「ムコー」「タモー」「ユキコー」と読むのが適切かと思うのですが、いかがでしょうか。
 日本語の動詞の発音は、現代語として今の読み方に定着するまでにさまざまな変遷をたどってきました。例えば「買ふ」の読み方は、カフ→カウ→コー→カウと変化し、現代語では「カウ」という発音で定着しています。「平家物語」中の「向かふ」、「おくのほそ道」中の「行き交ふ」の読み方についても、「ムカフ→ムカウ→ムコー→ムカウ」、「ユキカフ→ユキカウ→ユキコー→ユキカウ」と、時代によって変化したと考えられますが、現代語として定着している発音のほうが意味を捉えやすいと判断し、教師用指導書の音声CDではそれぞれ「ムカウ」「ユキカウ」と朗読しています。なお、「日本国語大辞典 第二版」(小学館)では、文語の発音として「ムコーとも」「ユキコーとも」と付記されています。
 また、古語の「たまふ」には、一般に「タマウ」と「タモー」の両方の読み方が通用しています。「たまふ」は現代語にはない動詞ですが、もし現代語として残ったならば、他の動詞の変遷に鑑みると、「タマウ」として定着したものと推測できます。そのため、音声CDでは「タマウ」と朗読していますが、過去に「タモー」という発音もあったことから、古典的な味わいを重視して「タモー」と読むように指導したとしても問題はありません。古語特有の動詞「さぶらふ」の読み方についても、「たまふ」と同様のことがいえます。