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促音・拗音などの小書きの仮名を原稿用紙に書くときのルールを教えてください。
 文化庁刊行の「ことばに関する問答集11」(昭和60年)という冊子の中に、「原稿用紙の使い方」の目安が示されております。そこの「2 促音・拗音・外来語・特殊音などを表す小書きの仮名」という項目では次のように記述されております。

「(促音・拗音・その他、擬音語や外来語などを書き表す際の小さな「ァ・ぁ、ィ・ぃ…」等の例を挙げた後、)これらの小さく書くべき仮名が、原稿用紙の行頭にくることになる場合がある。これは見た目によくないし、読みにくくもあるし、右下に書くことにも反することになるのであるが、一般に余り問題になっていない。印刷物でも行頭にある。「きゃ」などの拗音は、仮名二字を使って書き表すが、これは一まとめの一つの音節であるから、本来二ますに分けて書くのは、音声的に考えるとおかしいと言う人もあるし、また、読み手にとっては、読みにくいこともあるのである。が、伝統的に、それぞれに一ますを与えて書くことになっている。行末に書き切れない場合は、欄外に書けば読みやすくなるという人もいる。(句読点や読点などと同様に考えればよい。)」

 以上の記述から見るかぎり、原稿用紙などでの表記の仕方では、促音・拗音が行頭にくる場合はそのまま行頭に書くのが一般的かと存じます。ただし、これはあくまでも目安であり、必ずこう書かなければならないというものではありません。たとえば、「コップ」の「コ」が行末にくる場合、その行の欄外に「ッ」を書いても誤りではないということです。もっとも「プ」まで書いてしまうことは一般的ではないと考えられます。
 なお、教科書では児童の読みやすさに配慮し、文字と文字の間隔を調節するなどして、促音・拗音が行頭にくることがないようにしております。
小学校の国語教科書では、会話文が二行以上にわたるとき、二行目以降はすべて一字下げで書き表していますが、中学校の国語教科書では、二行目以降を一字下げにはしていません。小学校と中学校で表記の仕方が違うのは、どういう意図があるのですか。
 小学校の国語教科書では、戦前の国定教科書の時代からずっと一字下げの書き表し方がとられてきました。 明治三十六年の第一期以来、国定教科書は一字下げの形式が定着しており、現在発行されている各社の小学校教科書も、すべて一字下げの形式になっています。なぜ国定教科書でこの形がとられたかは定かではありませんが、おそらく、二行目以降を一字下げにしたほうが、かぎかっこが埋没せず、会話文と地の文とがはっきり区別できて読みやすくなる、という教育的配慮によるものと考えられます。
 ただし、この形式は世の中一般にはあまり見られない独特の表記法であることも確かです。現在の書籍・新聞・雑誌なども、二行目以降を一字下げにしない形のほうがより一般的であると思われます。
 一方、旧制中学校用の教科書では、小学校のように統一されておらず、二行目以降を一字下げにしない形式も年代に関係なく見られます。現在、発行されている中学校の国語教科書では、小学校のような一字下げの形式をとっているものはありません。中学校の場合、世の中一般に広く行われている表記法に慣れることを優先するという意図があるとお考えください。
会話文の「 」(かぎかっこ)の後は、改行されて、一字下げて始める場合と下げずに始める場合がありますが、その表し方の方針はどうなっているのでしょうか。
 私どもの教科書では、原典がどのような形をとっているかにかかわらず、原則として会話文の後は改行し、「と」で受ける場合を除いて一字下げて書き表しています。
 教科書という本の性格上、表記の仕方には、一定の統一したルールを設ける必要がありますが、会話文の「 」の後に続く文を一字下げるかどうかについては、大きく二つの考え方があります。
A 意味のつながりによって、会話文に続く新たな文を一字下げするかしないか判断する。
B 意味のつながりとは関係なく、会話文に続く新たな文は一律に一字下げする。
 A・B二つの方式には、それぞれメリット、デメリットがあり、どちらが優れているとはいえないと考えられます。どちらにしても、著者の意図や原典でのさまざまな書き表し方とは関係なく、一つの基準にあてはめてしまうことには変わりがありません。Bの場合には、会話文はそれ単独で形式的な一段落を形成する(「と」で受けるケースは別であることはAも同じ)という考え方であり、機械的であることや、つながりの強弱が示されないことについて批判が成り立ちえます。しかし、Aについても、連続性の有無が明確なものばかりならともかく、微妙なものについては、編者のとらえ方、恣意性がより強く出てくるという問題が起こります。
 私どもとしましては、一律的な表し方のほうが、学習指導上の混乱を避けることができ、小学校段階としてはより適切ではないかと考え、Bの立場を採用しております。
1・2年の教科書では、文が続いていて行の下が空いているのに改行しているところが見られます。この理由を教えてください。
 1・2年の教科書においては、一つの語が二行に分かれることを避け、原則として文節の区切りで改行するようにしております。これまでも、学習の入門期にあたる1年上巻ではこのような表記の仕方をとっておりました。まだ文章を読み取る力が十分ついていない時期であり、語の途中で改行されていると文の意味がとらえづらくなることがあるからです。さらに、平成27年度版の教科書からは、2年まで文節での改行をとり入れました。これは、従来の配慮に加え、語のまとまりを認識して読むことに困難を抱える児童への支援を意識したものです。
 語の途中で改行されても問題なく読み取ることができるようになるためには、実際に読み慣れていくことも必要です。読むことへのつまずきを少なくし漸次読解力をつけていくという観点から、文節での改行は2年までとし、3年時より通常の改行としております。
1年生の教科書にある「十」の用例では「じっ(じゅっ)=十かい」となっていますが、「十回」は「じっかい」と読むのが正しいのではないでしょうか。
 一般の社会生活における漢字使用の目安を示すものが「常用漢字表」ですが、その改定にあたり、新しい「常用漢字表」(2010年11月告示)では、「十」の音訓として「ジュウ」「ジッ」「とお」「と」の四つが示され、「ジッ」の備考欄に「『ジュッ』とも」と付記されました。これによって、「十回」の読みとして「ジッカイ」とともに「ジュッカイ」も認められたことになります。また発音だけでなく、例えば「十回」の読み仮名を書く場合には「ジッカイ」も「ジュッカイ」も正しいと考えられます。
 以前の「常用漢字表」では「『ジュッ』とも」の付記はなく、「十回」の読み方は「ジッカイ」が正しいとされていました。ただし、実際の発音においては「ジュッカイ」という読みも広く使われており、NHKの放送も「ジッカイ」を基準としつつ両様の読みを認めています。
 ただし、上記の改定によって、「十」の漢字の読みが「ジュウ」「ジッ」「とお」「と」に「ジュッ」を加えた五つとなったということではありません。「ジュッ」は「常用漢字表」の漢字の音訓の欄に示されたものではなく、あくまでも「ジッ」の備考欄に示されたものですので、漢字単独の音としては「ジッ」ですが、ほかの語と結びついたときに「ジュッ」と発音することもできるということです。
4年下巻「ごんぎつね」にある「小ぎつね」の表記ですが、「子ぎつね」となっている本を読んだことがあります。「小ぎつね」「子ぎつね」のどちらが正しいのでしょうか。
 私どもの教科書が掲載しております「ごんぎつね」は、「校定 新美南吉全集 第三巻」(1980年 大日本図書)を出典としております。ここに収録された「ごんぎつね」は、昭和7年1月号の「赤い鳥」に掲載されたものを底本とし、南吉の死後発表された第3童話集「花のき村と盗人たち」と校合して作成されたものです。この原典で「ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで」の部分は「小狐」となっております。南吉の全集としては最新の校定を経たものですので、私どもでは、これに基づき「小ぎつね」としております。
 なお、この全集には、昭和40年刊行の牧書店版全集第1巻との異同の注記がありますが、それによりますと、牧書店版では「子狐」となっております。牧書店版か、これを底本とした本(例えばポプラ社文庫の「ごんぎつね」)は「子ぎつね」となっている可能性があります。この異同の理由はよく分かりませんが、少なくとも「赤い鳥」に発表されたものを定稿とするならば、「小ぎつね」となるのではないかと存じます。
 さらに、北吉郎「新美南吉『ごん狐』研究」(1991年 教育出版センター)によりますと、この作品には、「赤い鳥」に発表される以前に南吉が日記の中に書いていた草稿(「權狐」)があり、その中ではこの部分は「權狐は、一人ぼっちの小さな狐で、」となっております。つまり、「ごんぎつね」は、南吉が作品を構想した時点、最初に発表された時点では明らかに「子どもの狐」ではなく「小さな狐」であったということになります。
4年上巻「ヤドカリとイソギンチャク」の中で、「ロス博士」という人が登場します。この場合、「ロスはくし」と読むようになっています。一般的に「博士」は「はかせ」と「はくし」と読みます。どのような場合が「はくし」で、どのような場合が「はかせ」なのでしょうか。
 「現代国語例解辞典」(小学館)では、「はかせ」は昔風の言い方で、今日の学位としての正式呼称は「はくし」であると書かれています。また、「例解新国語辞典」(三省堂)では、「はかせ」は「はくし」のくだけた言い方としています。また、文化庁編「言葉に関する問答集」にも、この話題が取り上げられており、古語としての「はかせ」があること(古い時代の官名で「文章博士=もんじょうはかせ」「陰陽博士=おんようはかせ」など)、現代語としては両様あるが学位としての正式な称号は「はくし」であることが説明されています。
 こうしたことから教科書では、「ロス博士」「文学博士」「博士課程」などのように、学位を示すものについては「はくし」と読み、一般的に「学問やその方面の知識・技術に詳しい人」という意味で使われる「もの知り博士」「野球博士」「相撲博士」などは「はかせ」と読むようにしています。
教科書に紹介されている図書の購入を計画しています。書名・著作者名・出版社名などがまとめられている一覧表はありますか。
 「本は友達 ○年生の本だな」や単元末の「こんな本もいっしょに」などで紹介している図書については、以下をご参照ください。
【令和2年度用】「新しい国語」紹介図書一覧(Excelファイル)
 物語・説明文・詩教材の出典については、以下をご参照ください。
【令和2年度用】「新しい国語」教科書教材出典一覧(Excelファイル)