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海後宗臣 教育改革論集

海後宗臣 教育改革論集

海後宗臣/著 寺﨑昌男・斉藤利彦・越川 求/編

ISBN:978-4-487-81007-9
定価9,900円(本体9,000円+税10%)
発売年月日:2018年02月02日
ページ数:560頁
判型:A5

解説:
近代教育を築いた海後宗臣の新発掘論文集。戦前・戦中・戦後期の教育改革論が現代のカリキュラムや教育実践につながる貴重な論文集。戦後教育改革、カリキュラム改革運動、東大附属学校創立の意味、極東軍事裁判速記録など、今なお貴重な資料が初めて明かされる。教育学の第一人者である寺﨑昌男らによる、充実した解題、解説付き。

「はじめに」より

 小学校から大学まで教育のグローバリゼーションが叫ばれ、受動的学力だけでなく能動的で洞察力・構想力に富んだ子ども・青年の育成が重視されている。教育の方法、授業や教科書のあり方など、すべての面で改革が求められている。
 しかし静かに考えれば、政治・経済・社会と並んで、それらとの深いつながりのもとに教育が続く限り、「教育改革」という課題が消えることはないはずである。政治・経済・社会は絶えず変転し、その変転に即応した教育のあり方が求められるからである。他方、教育は外からのニーズに応じるためにだけ姿を変えるわけではない。なぜなら教育という営みの中心部分は人間によって担われ、その人間は、どのような時代にも、個人や集団としての意思のもとにキャリアや価値観を選択し、使命感や責任感を自覚し、理念やスローガンを表明することのできる存在だからである。
 そのような人間の側から、しかも教育実践の現場から発想すれば、外からの要請は本質的には何なのか、子ども、教師、親たちにはどのような能力、感受力、さらには道徳意識が育ちつつあるか、それとも何が妨げられ、どのような能力・資質が損なわれつつあるかをきめ細かに見通すことができる。その上で、未来に向かって生きる力は何であり、それを育てるにはいかなる文化内容を準備しどういう手法で教えればよいかを考えることが可能となる。言葉を変えると、一方で教育における社会的規制の本質と教育的価値の実現との間のダイナミックな関係を見透しながら、他方では、創造すべき文化と形成すべき人間像とを省察することが求められる。
 本書の著者・海後宗臣(かいごときおみ)は、教育を内外両面からダイナミックにとらえることのできる学者であった。とらえるだけでなく、教育を変える作業に骨身を惜しまず参加することを厭わなかった。日本の近代教育史を振り返るときには、教育に対する国家・社会からのニーズとの関係を重視し、歴史的な認識を現代の教育実践にどのように生かすかを絶えず考えた。教育改革への参加の意識を強く持ち、戦後には新しい日本の建設に教育はいかに関わるべきかを説いた。また大学の学部づくりや研究者養成に専念するとともに、学外では学校現場のカリキュラム改革、教科書の編集というように多面的なかたちで実行に取り組んだ。戦後、社会科教育の出発と展開に当たって、有名な地域カリキュラムである「川口プラン」の中心的な指導者であったことは、今も広く知られている。
 海後の膨大な著作の大部分はすでに収集され刊行されている。大学や研究所に所属していた教え子の方たちが協力して収集し、解説を加えた『海後宗臣著作集』全10巻が東京書籍から刊行されたのは1980年9月~81年6月のことであった。全7,000頁以上に及ぶこの著作集で、氏の著作のすべては校訂と解説を経て世に出たと思われていた。本書の編集にあたった3名も、長らくそのように思っていた。
 ところがその後35年を経て、本書の編者である斉藤、寺﨑、越川によって、著作集にも漏れ、著作リストにも挙げられていない重要論考があることが分かってきた。
 斉藤は、古書店のルートから敗戦直前に海後が記した日本教育史の未公刊原稿を入手することができた。
 寺﨑は古書店出品の文献に中国教育調査記録を見出し、海後を中心に設立された中央教育研究所(現在は公益財団法人)に保全することができた。また海後が東京大学を停年退職して四年後に教育学部附属学校で行った講演記録も見出すことができた。他方、戦後日本のカリキュラム改革を研究してきた越川は、敗戦直後から数年間に教育界向けの雑誌に海後が発表したおびただしい論考を発掘し、それらが『著作集』からほぼすべて抜け落ちていること、しかも戦後のカリキュラム改革に対して海後が正面から取り組んだ論考であることに気づいた。

本書の構成について

 本書は(1)~(3)の3部で構成されている。
 1部に収めたのは、海後による戦後教育改革期の雑誌論文群である。『教育文化』『日本教育』『明日の学校』『社会と学校』『千葉教育』等の雑誌群に海後が精力的に発表した論考を収めた。その多くは今回初めて発掘され、解説をともなって復刻されるものである。
 2部は最も短い部であるが、海後の東京大学教育学部附属学校での講演の記録を収録した。
 海後は、同校創設時に東京大学教育学部の創設に尽瘁していたが、併せて附属学校の名目上の校長役を引き受け、しかも実際には実の校長以上に創立企画を立て、発足後も運営にあたった。講演は、創立の18年後に、あたかもふるさとの仲間に語りかけるような率直な語調で話した記録である。
 3部には、斉藤によって提供された教育史の未完成原稿、敗戦直前に執筆した雑誌論考、中国北部における教育改革の企画調査報告書、そして戦後行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)における証言、の4種の記録が収められている。
 1部に収められたのが主として未来を見つめての論考群であるとすれば、3部の諸記録は、日本教育の過去を見、そこから何を得るかを論じた論考群である。執筆期も発表時期も1940年代前半の限られた数年間に集中し、なかには戦局の終盤に米軍の本土上陸を想定したテーマの論考すらある。3部に収めた未完成稿や論考は、国家と戦争に対する海後の思想態度を語る記録群と言える。戦前・戦後にわたる教育学者としての存在が大きかったこともあって、今後あらためて戦争責任論が問われることもありえよう。しかしかつて著作集を編集した時も、海後は自らの著作を一切隠そうとしなかった。今回、編者たちも、かつての編集委員会の方針と海後の態度とを受け継ぎ、3部の内容を構成した。
 本書の最後には「補章」を設けて、2編の文章を収めた。教育勅語(教育ニ関スル勅語)をめぐって戦後に海後が発表した新聞論説と対話記録である。
 教育勅語に対しては1948(昭和23)年に衆参両院が排除・失効確認の決議を行ったが、今日でも、それが掲げる徳目には意義があると評価し、学校教育に復活させようという動きがみられる。教育勅語がどのような前史のもとに着想され誰によって書き上げられたかを解明することは、海後にとって畢生の研究テーマであった。修正案文のすべてを復刻し、起草経過研究のすべてを集成した私家版の大著『教育勅語成立史の研究』は、『海後宗臣著作集 第十巻』に収録され、第一級の教育史研究業績となっている。本書「補章」に収めた2編の論考は、同巻には収められていない。しかしあらためて読んでみると、教育勅語の歴史的性格や評価を戦後の視点から考察したものであり、著者の教育改革論を集成した本書にふさわしい文書と判断される。稀な例ではあるが、幼稚園児童に教育勅語を暗誦させるといったことが報道され話題を呼んだこともあり、緊急にこの補章を設けた。

著者情報

海後宗臣(かいごときおみ)
1901年茨城県に生まれる。東京帝国大学文学部教育学科卒。東京大学名誉教授,元・日本教育学会会長。1987年死去。著書に『海後宗臣著作集』『日本教科書大系』他。

コンテンツ

1 戦後カリキュラム論の出発
『教育文化』にみる戦後教育改革/『日本教育』『明日の学校』にみるカリキュラム論/『新教育の進路』の歴史的意味/教育改革研究の進展をめざして/わが国のカリキュラム改革運動のために
2 教育実践研究と附属学校
東大附属学校創立の意味
3 日本の近代教育
『教育史』/北支に於ける教育建設に就いて・説明書/戦前・戦中期の雑誌論文/証言 極東国際軍事裁判速記録
解説